光大寺発電所 (田村市・旧船引町)   2007.07/2008.05    [TOP]  [寄り道]  [廃電Web]  [発電所リスト]

 

三春電気は明治42年(1909)に大滝根川の水利権を得て滝発電所(旧久保発電所)を稼動していた。

この三春電気の事業を譲り受け、また飯豊水力電気や文殊電気を合併して大正11年(1922)成立したのが磐城電気で、

大倉財閥系の日本化学工業が経営母体であった。その後、田村電気、谷田川電気も併合。

光大寺発電所はこの磐城電気により昭和3年(1928)に建設されたものである。

家庭にも電力を供給していたが昭和15年(1940)以降は国家統制が進み、自工場専用になっていた。

戦後の状況や廃止年が不明であるが、比較的最近の地図でも消されずに残っていたりする。


 

 

 

 

 

国土情報ウェブマッピングシステムより転用)S55

 

光大寺発電所があった場所を遠望する。

白い擁壁の上にあったと思われる。

 

左下に見える親柱は旧光大寺橋のもの。

 

 

 

何も残っていないように見えたが、

よく観察すると斜面に長い階段があった。

あの階段に沿って水圧鉄管が伸びていたに違いない。

上には調整池があるはずなのだが・・・。

 

 

 

 

発電所跡に接近してみる。

発電所の敷地は個人に買い取られ、民家が建っていた。

残念ながら進入不能である。

 

 

 

 

フェンス越しに見ると、水圧鉄管が通っていた穴を

塞いだらしい丸い跡が見えた。

 

しかし排水路も余水路も見つからなかった。

 

 

 

 

近所の方から「調整池は今でもある」との話を伺う。

廃止後、この水を利用して釣り堀を開業した人がいたのだ。

確かに道路脇の妙な所から水が流れ落ちている。

 

 

 

 

 

 

 

釣り堀の営業はうまく行かなかったらしく、現在は廃墟になっている。

光大寺発電所の調整池から引かれた水だけが「現役」である。

 

 

 

 

 


 

 

大滝根川上流にあった取水堰

 

 

 

 

国土情報ウェブマッピングシステムより転用)S55

 

取水口には大規模なダムがあった。

おそらくは撤去されていると思うが、痕跡を求めて現地へ赴く。

地形図では点線表記なので不安だったが、

改修されたのか、こんな道ならクルマでも行けそうである。

轍も新しく、鮮明だ。

 

 

しかし、ここにはこんな立て札もあった。

今から思えば「遠慮」しておけば良かった・・・。

900mくらい歩けば良かったのだ。

 

 

 

 

 

クルマで進入してすぐに後悔した。

道は非常に狭く、しかも曲がりくねっていて見通しが悪い。

引き返したくても転回場所すらない。まるで林鉄・・・。

これは行ける所まで行くしかない。

岩に擦らないよう、脱輪しないようにだけ集中していたため、

途中の写真は撮ってない・・・。

(これは駐車場所より少し奥で振り返って撮影)

 

ヨレヨレの鉄製桟橋を恐る恐る渡ると狭い駐車場があり、

そこには山小屋風の東屋があった。

入り口にあった「嘉相滝」とはこの辺りにあるらしい。

何やらここだけが観光地っぽくて、ちょっと腹が立つ・・・自分に。

ここに駐車し徒歩にて上流に向かうと、

道路下に遊歩道の残骸らしきものが見え、

さらには発電所関連と思しき水路も見えきた。

 

この細道は工事用軌道だったのでは?

などとあらぬ妄想をしながら歩いていると伐採場に出た。

ああ・・・切り落とされた枝の山で道が塞がれている。

撤退。

路肩が見え辛い帰路は往路よりも更に怖かったよ・・・。

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