蕎麦角発電所 (南相馬市原町区) 2014.09/2018.05 [TOP] [寄り道] [廃電Web] [発電所リスト]
この発電所は、「東北の電気物語」にも名前が出てこない。 | |
初めて知ったのは、原町森林鉄道・新田川線に関して調べている過程で偶然発見したものと記憶している。 | |
古地図にて、現在はない発電所の記号を見つけたのだ。 | |
その後、当サイト読者の「やまちゃん」氏から発電所名の連絡があり、さらに現地調査を実施し、その成果を掲示板に投稿して頂いた。 | |
それが2007年の夏だった。 | |
2008年に「原町市史11」が発刊され、2010年になってこの本の存在に気が付いた。 | |
その中で、原町森林鉄道や蕎麦角発電所について詳細に触れられていたので、まとめてみようと思う。 | |
※「Minekoのお散歩」管理人のMinekoさんから頂いた情報を追記 [2018.05] | |
略歴 |
Minekoさん情報 |
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明治43年 | (1910) | 7月、原町の鈴木竜助、他10人が発起人となり相馬電気株式会社を設立。 | ||
9月、発電所建設工事に着工。 | ||||
明治44年 | (1911) | 4月、川前発電所(後に大原発電所に改称)が完成、開業。 | 落差:8.48m | |
位置は石神発電所の上流左岸とのことだが詳細は不明。 | ||||
資材運搬のため、片洞門の工事軌道が左岸に開設された、との情報もある。 | ||||
出力125kW。 社長は佐久間栄三郎、常務取締役は田中善之助、主任技術者は西村由太郎。 | 佐久間栄 | |||
大正4年頃、予備発電所に格下げ | ||||
大正8年頃、発電機を改良 | ||||
出力不足により、昭和10年代初めに廃止された。 | 昭和18年頃に廃止 | |||
大正3年 | (1914) | 蕎麦角発電所が完成。 出力450kW | 落差:19.7m 出力500kW | |
尾根先端の形状がソバの実に似ていることから蕎麦角山と呼ばれていたのが由来。 | ||||
昭和19年(1944)に廃止。 | 石神発電所建設に伴い、 | |||
昭和19年11月に廃止 | ||||
位置は「川前発電所の上流5km地点」(「原町市史11」より)とある。 | ||||
ここから川前発電所の位置が推測できると思ったのだが、 | ||||
蕎麦角発電所から5km下ったら石神発電所より下流になってしまう。 | ||||
よって「原町市史11」の記述は誤りだと思われる。 | ||||
大正8年 | (1919) | 相馬電気が磐城水電に吸収合併される。 | ||
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「やまちゃん」氏作図による、蕎麦角発電所周辺の略図。(そばかど) | |
彼自身による現地調査と、聞き取りを元に描いたもので、ほぼ完璧と思える完成度である。 | |
レールは上部を通る原町林鉄から落ちてきたものと思われる。 | |
原町市史には、昭和初期に蕎麦角発電所で勤務していた方の貴重な証言が掲載されているので紹介する。 | |
発電所の北側には、3世帯が入居できる社宅があった。 | |
社宅の東には小さな庭と畑があり、野菜を栽培していた。 | |
昭和5、6年頃は営林署の事務所、飯場、住宅(5、6戸)もあって、賑やかだった。 | |
職員の食料は原町林鉄で運んでいた。 | |
新田川の対岸に渡り、山を越えたところにある社地神まで通じる徒歩道があり、 | |
この細道を使って毎日郵便物や新聞が届いていたので生活に不自由を感じることはなく、 | |
私用がある時だけ街に出る程度だったという。 | |
今では近づくのも大変な場所だが、当時住んでいた人に隔絶感はなかったようだ。 | |
おそらくトロッコに乗って、原町の市街地まで遊びに出ていたのであろう。 | |
中央やや左に発電所の記号が見える。 これが蕎麦角発電所(発行時には廃止済み)。
周囲に3軒の建物記号がある。 事務所や宿舎であろう。
発電所南側の緩やかな斜面を上った所に原町林鉄が通っており、
西方向には隧道が2本見える。 共に圧壊していて通れない。
発電所のすぐ上流には橋が架かっており、社地神までの「小径」記号もある。
左岸は急斜面になっており、道は九十九折れになってるようだ。
取水口は塞がれているのだろうか、開いているのだろうか。
Google Mapだと落葉していてもっと見易い。 →こちら 右下には原町林鉄の鉄橋まで見える。 |