越後街道・軽沢宿                     [TOP] [MENU]

県道を南下すると、すぐに集落がある。

軽沢宿である。

軽沢は間宿(あいのしゅく)である。

馬から降ろした荷物を担いで峠を越える

人足などをしていたのであろう。

右はバイパスで、街道は左である。

 

 

切石川の両側に集落が並んでいる。

軽沢の肝煎は鈴木家で屋号は越後屋といった。

 

 

 

 

 

 

小さな集落はすぐに途切れ

県道に再合流する。

 

 

 

 

  

                     

切石川の西岸に沿って南下する。

江戸時代初期には、東岸に道があったという。

難路であった為、西岸に付け替えられたのだが、

大変な難工事であった、とのこと。

その道をベースに今日の県道があるのだ。

 

 

 

やがて、県道右側に細道が現れる。

鳥屋山の登山口なのだが、

実はこれが越後街道なのである。

 

 

 

 

完全な一車線。

鮮明なダブルトラック。

作業道として現役のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

細道をどんどん上って行く。

眼下に見える県道との高低差が広がってゆく。

ガードレールが無く、

車だとかなり恐怖を感じるはず。

 

 

 

 

やがて分岐がある。

何も標識がないが、右が登山道だと思われる。

街道は左である。

 

 

 

 

作業小屋の脇を通ってさらに奥へ進む。

 

 

 

 

 

 

 

松並木の名残りなのか、

松が二本、伐採もされずに立っていた。

この辺りで、柳津道が南に分岐していて、

分岐に「別れの茶屋」があったのだが、

R49の開通により切断された道は廃道化し、

茶屋も地名に名を残すのみとなった。

 

 

 

 

さらに進むと、眼下にR49が見えてくる。

しばらく並行して進む。

 

 

 

 

 

 

直進する畦道が街道なのだが、

この先は耕地化されてしまい、

道形は消える。

左に下り、R49へショートカットする。

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