軽沢宿である。
軽沢は間宿(あいのしゅく)である。
馬から降ろした荷物を担いで峠を越える
人足などをしていたのであろう。
右はバイパスで、街道は左である。
軽沢の肝煎は鈴木家で屋号は越後屋といった。
県道に再合流する。
江戸時代初期には、東岸に道があったという。
難路であった為、西岸に付け替えられたのだが、
大変な難工事であった、とのこと。
その道をベースに今日の県道があるのだ。
鳥屋山の登山口なのだが、
実はこれが越後街道なのである。
鮮明なダブルトラック。
作業道として現役のようだ。
眼下に見える県道との高低差が広がってゆく。
ガードレールが無く、
車だとかなり恐怖を感じるはず。
何も標識がないが、右が登山道だと思われる。
街道は左である。
松が二本、伐採もされずに立っていた。
この辺りで、柳津道が南に分岐していて、
分岐に「別れの茶屋」があったのだが、
R49の開通により切断された道は廃道化し、
茶屋も地名に名を残すのみとなった。
しばらく並行して進む。
この先は耕地化されてしまい、
道形は消える。
左に下り、R49へショートカットする。