左はバイパスで。街道は右の旧国道に入る。
街道は新旧道の間を通っていたようだ。
左側は杉木立になっているが、
その中に一里塚がある。
残っているのは南塚だけで、
北塚は旧R49を作る際、平削されてしまった。
しかし、そこは水路になっていた。
この水路の曲線は、
街道の曲線なのかも知れない。
「国道49」の標識が今でもある。
ここは既に国道ではないのだが、
地元の方には「こちらが本道で、
現R49はバイパス道に過ぎない」
という意識があるようだ。
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道はクランク状に曲がる。
野沢宿東の枡形である。
ここの標識にも「49」の文字がある。
「絶対に撤去させない」という意思すら感じる。
ここに北(右)に入る道がある。
これは1611年(慶長16年)以前の
越後街道である。
新旧越後街道はここで合流して西へ進む。
1611年発生した慶長地震により、勝負沢峠、塩峰峠越えのルートが崩落・埋没してしまった。
その為、鐘撞堂峠、束松峠越えのルートが本街道になったのだった。
道は鉤型に曲がる。
野沢宿西の枡形である。
ここから野沢宿・原町になる。
本町と原町はそれぞれ独立した機能を
持っていたという。
ここが野沢本陣があったところである。
野沢宿が終わる。