こんなヤセ尾根の部分もある。
両側共に、かなり急な崖だ。
その上には倒木が重なっている。
倒木の下をくぐる為に姿勢を低くすると、
藪で視界が遮られて前方が見えなくなってしまう。
これが結構、恐怖を感じる。
この画像の部分はまだ良い方で、
幅員が20cm程しか残ってない箇所もあった。
江戸時代当時のままの切り通しである。
幅2.5m 高さ6m程であろうか。
北斎や広重の浮世絵を見ているような感覚だ。
崩壊する事もなく、藪に埋もれる事もなく、残っていてくれた。
荷物を背負った商人や、塩を積んだ牛がここを往復していたのだな・・・。
切り通しを抜ける薫風を感じながら、しばし佇む。
至福のとき。
切り通しを抜けると道は直角に左に折れ、崖下の急坂を下るようになる。
崩落した岩石が散乱していて歩きにくい。
この先にヘアピンカーブがあり、180度曲がる。
そこは石垣になっていた。
これも江戸時代の街道の遺構だろうか?
それとも後年の補修だろうか?
祖先の苦労に思いを馳せる。
以降は緩やかな下り坂になる。
この坂は「お菊殺しの坂」と呼ばれているとのこと。
由来は不明であるが、知りたくない、という気もする・・・。