板谷街道・八丁目宿                   [TOP] [MENU]

 

  伊達から米沢に本拠を移した伊達氏によって整備された、福島城下と米沢城下を結ぶ街道である。

  江戸期には米沢に移封された上杉氏の参勤交代に利用されたが、

  他の羽州の諸大名は難所である板谷峠を避け、小坂峠を越える羽州街道を利用していた。

  明治になって万世大路や鉄道が開通すると利用者が激減し、板谷街道は急速に衰退していった。

  (福島からは「米沢街道」、米沢からは「福島街道」と呼ばれたが、ここでは混乱を避ける為「板谷街道」で統一する。)

 

奥州街道・福島藩の八丁目宿。

宿場の中にT字路があり、ここを起点として

左折するのが板谷街道である。

      <右折して奥州街道へ行く>

 

 

 

左折すると正面に高台が見える。

八丁目城跡である。

中世末期の伊達氏の支城であった。

跡地には松川小学校が建っていたが、

それも廃校になっている。

           <説明板を見る>

 

                      

街道は現在、県道に指定されている。

県道52号土湯温泉線である。

すぐに前方に雇用促進住宅が見えてくる。

当時、この辺りは分岐になっており、

板谷街道は右に分かれていた。

左(現道)は山王・土湯道である。

分岐には道標があったが移設された(後述)

 

団地の敷地内に入る。

1号棟と2号棟の間に道がある。

これを旧街道跡と呼ぶにはいささか抵抗がある。

偶然重なっただけなのかも知れない。

 

 

 

 

団地の西端のフェンスで道は切断されている。

この2本の立木の奥に道が続いているはず

なのだが・・・。

 

 

 

 

 

あった、あった、ありましたよ!草の道。

だいぶ狭められてはいるが、

しっかりと残っていてくれた。

しかも結構長そうではないか!

 

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  近所の方のお話を聞く事ができました。

  曰く「この道は今でも県道なんだよ」・・・!!!・・・なんとも衝撃的な事実を話してくれました。

  (一瞬、「では何号線なのだろうか?」と考え、ヘキサを探したTUKAは大バカであります。)

  旧板谷街道は、今でこそ一般道として利用されてはいないが、細長〜い県有地なのであった。