天明根村名主兼検断の遠藤家があったのだが、
現在は見当たらない。
古い家や土蔵が散見される。
左の鳥居は稲荷神社で、境内には
松川村・道路元標がある。
奥州道は右折である。
この分岐は米沢街道の起点でもある。
左(西)に曲がり、大森、庭坂を経由し板谷峠を越えて米沢城下に至る。
歴代米沢藩主も参勤交代の折、このルートを利用した。 <板谷街道へ行く>
商店街の各店は屋号を店名にしている。
この辺りに馬宿・赤浦屋があった。
その建物は現在、川崎市の民家園に移築され、
神奈川県の文化財に指定されている。 →こちら
この一件が、福島市にも民家園ができるきっかけになった。
正面にガソリンスタンドが見えるが、
ここが八丁目宿本陣の桜内家である。
GSも桜内家の経営で、裏に邸宅がある。
チラリと屋根が見えている。
ここを左折(北)する。
左に広大な敷地の邸宅がある。
検断兼問屋の植木家である。
ここに高札場があった。
奥に見える青看の所を右折する。
やがて分岐がある。左(北)が奥州道で、
右(南)が相馬へ向かう道である。
本街道たる奥州道と、脇街道の米沢街道、
相馬街道が交差する宿駅として、
八丁目宿は大変賑わったのであった。
風化で文字が消えかかっているが、
なんとか「是従南相馬道」と読めた。
「是従西北福島」の文字は判読不能であった。