その名が示す通り、藩境の川である。
橋を渡り二本松藩領から福島藩領に入る。
その割りには色気の無い橋である。
大正期の親柱とか残ってないものか。
左に橋供養碑がある。
橋が流されぬように、と祈願したものとのこと。
右奥には信夫隠の歌碑がある。
道がクランク状になっている。
枡形の跡と思われる。
ここには口留番所があった。
番所を抜けると、八丁目村に入る。
ここで右から来るK52と合流する。
標柱にある「奥洲」の文字が誇らしげだ。
藩境から八町(約872m)の地点である。
それで八丁目宿なんだとさ。いいのか?
通りに面していくつか井戸が見られ、興味深い。
かつて旅人の喉を潤したのだろうか。
この石橋は明治18年に造られたものであるが、
なんと現在も現役なのである。
奥に見えるのは、水原川本流に架かる天明橋。
120年も前である。
石という素材の耐用年数、恐るべし。
しかし、横から見るとアーチ部分の石材が
新しいように見えるのだが?