小さな川を渡る。
14tonの制限標識があるのだが、大型トラックが
入ってくるようなロケーションとは思えない。
反対側にもう一対あるが、そちらは更に
風化が進行していて読み取れない。
画面奥に石碑が見える。
地元の方に大事にされている様子。
この時の交通量は皆無であった。
正面の大きな建物は信夫中学校。
その奥の山は、伊達家の重臣・片倉小十郎景綱が
城主を勤めた大森城跡である。
奥に大森宿が見えてきた。
大森宿は関宿藩の分領地であった。
関宿藩ってどこ?と思って調べたら、
千葉県の北西のとんがった部分であった。
宿場町の雰囲気を残している。
円通寺の前に関宿藩前田陣屋があった。
現在の大森交番辺りか。
円通寺には道路元標が移設されている。
右が福島道、左が板谷街道である。
堰があり現在でもきれいな水が流れている。
堰を越えると本町から下町に入る。
かつては問屋でも営んでいたのだろうか。
この付近を「見附」と呼ぶ。
当時、番所があり通行を監視していたのだろうか。
右に見える空き地には最近まで交番があった。
なるほど、と思わずニヤリ。
左は土湯を経て会津に向かう道で、
板谷街道は右である。
ここに道標がある。
正面に「是従東福島」、
右側面に「右 下村係り庭坂高湯」
左側面に「左 鳥渡山王係り土湯」とある。
真っ直ぐ下鳥渡村へ向かう。