板谷街道・下鳥渡村→上鳥渡村            [TOP] [MENU]

やがて道は分岐に差し掛かる。

ここで赤沢川に架かる川合橋を渡ると

大森村から下鳥渡村(しもとりわたり)に入る。

ここに石碑群がある。

画像左に小さく写っているのがそれで、

昭和57年の道路改修のおり、道路北側から

南側に移設された。

 

右端の石碑には「南無阿弥陀仏」とあるが、

これは道標も兼ねていて基壇には

東福しま作みち」とある・・・との事だが、

現状は「文字らしい物が見える」

と言う程度であった。

 

               

下鳥渡の集落に入る。

画像右の大きな屋敷は

明治十年代に創設された旧鳥渡銀行である。

道の両側に掘割があり、豊富に水が流れている。

 

 

 

 

集落内に石碑群がある。

これも近年移設されたもの。

 

 

 

 

 

 

キング印刷の前を過ぎると

下鳥渡村から上鳥渡村(かみとりわたり)に入る。

すぐに東北自動車道の下をくぐる。

後方の山は吾妻連峰である。

 

 

 

やがて鳥川小学校がある通りと交差する。

正面の細い道に入る。

 

 

 

 

 

交差点から100m程西に四辻がある。

板谷街道はここを右折する。

ここには道標がいくつかあったが、

すべて移設されている。

 

 

 

 

  この分岐には商人宿を営んだ筧家があった。現在は福島民家園に移設保存されている。

一つは鳥川小学校の南側の畑の中にあった。

画像右側の石仏に

右ハ山王道 左ハ八丁目道」とあるそうだが

確認できなかった。

 

 

 

 

その畑の西側に毘沙門堂がある。

その境内に庚申塔があり、正面左側

北米沢道」とある。

これははっきり読み取れた。

 

 

 

 

さて、先程の分岐を右折し細い道に入る。

 

 

 

 

 

 

 

すぐに観音寺の門前を通る。

ここの境内にも道標が移設されている。

 

鳥川村道路元標も移設されている。

 

 

 

 

白滝観音堂の前に二十三夜供養塔がある。

その正面左右に

東ハ大森福し満みち

南ハ山王土湯道西佐原」とある。

これも読み取れず。

しかし、これで上記の庚申塔と合わせて

東西南北揃ったことになる。

 

観音寺を過ぎると、正面に消防署が見えてくる。

ここで街道は一旦消えている。

北側に迂回する。

 

 

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