田沼領下村藩である。約7千石。
老中田沼意次が失脚後、その孫が藩祖になり
明治維新まで続いた。
分領ではなく、本藩である点が珍しい。
「旧米沢街道 下村の宿」とある。
この集会所の反対側に陣屋があり、
代官が赴任していた。
下鳥渡村から在庭坂村に亘る街道沿線の村々が
下村藩領であった。
陣屋の敷地内にあった伏見稲荷神社が
今でも残っている。
この日は桃の花が満開であった。
福島の郊外には果樹園が多く見られる。
ここから先は農道だ。
桃畑が広がっている。
奥に集落が見える。
前方に吊り橋が見えてくる。
荒川に架かる水道橋である。
視線はどうしても巨大建造物に行ってしまうが、
ここでの注目は画面中央の石碑群である。
画面左右に走るのが板谷街道。
手前(西)に向かうのは、高湯道である。
一番右の石碑は道標も兼ねていて、側面に
正面に水道橋と堤防が見えてきた。
ここから須川の北までは、度重なる河川の氾濫、
圃場整備などで道跡は完全に消えている。
北西に向かっていたと思われる。