板谷街道・下村藩領下村宿            [TOP] [MENU]

実を言うと、ここは福島藩領ではない。

田沼領下村藩である。約7千石。

老中田沼意次が失脚後、その孫が藩祖になり

明治維新まで続いた。

分領ではなく、本藩である点が珍しい。

 

 

 

佐倉下集会所の前に標柱が建っている。

「旧米沢街道 下村の宿」とある。

この集会所の反対側に陣屋があり、

代官が赴任していた。

下鳥渡村から在庭坂村に亘る街道沿線の村々が

下村藩領であった。

 

                      

現在、陣屋の跡地は民家や農地になっているが、

陣屋の敷地内にあった伏見稲荷神社が

今でも残っている。

 

 

 

 

 

路傍の石碑は二十三夜塔。

この日は桃の花が満開であった。

福島の郊外には果樹園が多く見られる。

 

 

 

 

 

やや大きな交差点を横断する。

ここから先は農道だ。

桃畑が広がっている。

 

 

 

 

広い農道を北上して行く。

 

 

 

 

 

 

 

桃畑が終わると、幅員が半分になってしまう。

奥に集落が見える。

 

 

 

 

 

 

橋本集落に入ると、

前方に吊り橋が見えてくる。

荒川に架かる水道橋である。

視線はどうしても巨大建造物に行ってしまうが、

ここでの注目は画面中央の石碑群である。

 

 

石碑群がある地点は分岐になっている。

画面左右に走るのが板谷街道。

手前(西)に向かうのは、高湯道である。

一番右の石碑は道標も兼ねていて、側面に

右ハよね沢かい道」 「左ハたかゆ道」とある。

 

 

 

一軒家の西側を通り、水田の中の道を行く。

正面に水道橋と堤防が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

荒川の堤防上から北側を望む。

ここから須川の北までは、度重なる河川の氾濫、

圃場整備などで道跡は完全に消えている。

北西に向かっていたと思われる。

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