水戸街道・棚倉城下                    [TOP] [MENU]

棚倉宿・新町を南下すると、

城下町特有の枡形が見えてくる。

この辺りに新町・南の木戸があった。

木戸を抜けると、棚倉宿・北町に入る。

この先、道はもう一度鉤形に曲がっている。

そこに古町・北の木戸があった。

 

棚倉宿・古町を真っ直ぐ南下すると、

枡形がある。ここに古町・南の木戸があった。

ここまでが棚倉宿である。

木戸を抜けると、鉄砲町に入る。

 

  

                     

鉄砲町バス停の所で、道が分岐している。

左は明治14年(1881年)にできた新道で、

街道は右の細い坂道である。

この坂を石無坂という。

 

 

 

 

石無坂を上ると、道がクランクになっている。

これも枡形なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

木造平屋一戸建ての町営住宅内を通る。

ここから道は狭くなり、一車線になってしまう。

 

 

 

 

 

 

更に進むと下り坂になる。

「車両通行止」などの標識は見当たらない。

 

 

 

 

 

 

石無坂を下る。

コンクリート舗装されているが、

この曲がり具合といい、細さといい、

当時を彷彿とさせてくれる。

車もなんとか通れそうだ(私は行きませんが)

 

 

 

やがて、R118に合流する。

合流点は更に狭くなっていて、

もう軽自動車でも無理。

この合流点も当時は枡形になっていたらしい。

 

 

 

 

枡形から先、下町に入る。

下町から南は水田地帯であったが、

現在は郊外型大型店などが建ち並んでいる。

右に衣料品店が見えてくる。

 

 

 

 

衣料品店北側の民家の庭先に

古びた杭があり「一里塚跡」とある。

下町の一里塚の跡地である。

標柱があるだけまだまし、と考えるべきか。

前に戻る        次へ進む→

[MENU]へ戻る