水戸街道・八槻宿                     [TOP] [MENU]

棚倉城下から街道は真っ直ぐ南下している。

国道に昇格した道に旧街道の面影はない。

やがて大きな交差点に出る。

右がR118バイパス、左がR289である。

 

 

 

交差点の奥に見える森は、

八槻都々古別神社の境内である。

森の手前で近津川に架かる宮橋を渡る。

 

 

 

  

                     

橋を渡るとR118は左に急カーブしているが、

実はこれは街道ではない。

街道はカーブの手前で左に入り、

神社の境内を通っていた。

画像中央辺りを通っていたと思われる。

突入してみましょう。

 

 

神社の境内に入り、振り返り見る。

国道を大型のトラックが走り抜けている。

進行方向、南側を見ると・・・。

 

 

 

 

 

草に覆われた並木道が現れる。

建造物が建てられることもなく、

樹木が成長することもなく、

かつての街道が「保存」されている。

 

 

 

少し進むと下草が刈り払われている。

駐車場として使用されているようだ。

 

 

 

 

 

 

参道入り口の鳥居の横を過ぎる。

 

 

 

 

 

 

 

すぐ先で国道118号線に再合流する。

ここから八槻宿に入る。

この宿場は都々古別神社への参拝客で賑わった。

画像左の民家もかつては旅籠を営んでおり、

屋号を寅卯屋という。

 

 

 

八槻宿に残る、茅葺屋根の民家。

立派な門があり、板塀で囲まれている。

 

 

 

 

 

 

街道は真っ直ぐ南下している。

宿場街を抜けると前方に大木が見えてくる。

接近する。

 

 

 

 

 

大木は一里塚に植えられたものだった。

八槻の一里塚である。

東塚のみ現存し、西塚は消滅している。

一里塚のすぐ南に、東へ向う道があるが、

これは平潟街道である。

現在の茨城県平潟湾は、当時棚倉藩の飛領であった。

海がない棚倉藩にとっては重要な街道であったはずだ。

 

 

一年前の状態から比べると、

その待遇は雲泥の差である。

私有地なのだろうか?

 

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