水戸街道・米山下                     [TOP] [MENU]

完全に自動車道と化した街道を南下する。

途中に茅葺屋根の民家が一軒だけあった。

だいぶ痛んでいるようだが現役である。

 

 

 

 

 

米山下バス停付近。

ここにガードレールの切れ目がある。

 

 

 

  

                     

畑に下りるための作業道にしか見えないが、

これこそ水戸街道の貴重な生き残り部分なのだ。

 

 

 

 

 

 

ここを水戸街道だと認識している棚倉町民は

どの位いるのだろうか。 ちなみに、

棚倉町の公式サイトには、一里塚どころか

町内の文化財を紹介するページすら無い。

 

 

 

 

作業道はここで左にカーブしているが、

街道は右にカーブしていた。

 

 

 

 

 

 

しかし右に道は無く、そこには畑が広がっている。

街道は耕地化されてしまっていた。

街道の天敵、圃場整備というヤツだ。

彼方にR118の青看が見えている。

街道はあの辺りに繋がっていたのだろうか。

 

 

 

R118上に戻る。

国道はここで左に進み久慈川を越えているが、

街道はここで右折し、川に沿って南下していた。

 

 

 

 

県道230号線矢祭山八槻線に入る。

このスロープは仮設のようだ。

街道もどこを通っていたか判然としない。

 

 

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