そこから西に向って坂を上ってゆく。
南坂と呼ばれる。
現在は発電所の管理道として
使われているようだ。
屋根まで抜け落ち、蔓が絡まっている。
旅館のようにも見えるが、
こんな場所で営業していたのだろうか。
古い石積みの護岸も見える。
八田野の一里塚である。
塚は完全な姿で一対共残っていた。
長らく藪に埋もれ、半壊していたものを
修復したとのこと。
地元農民延べ570人、8日間の労役により造られた、
との記録が残っている。
奥に「磐梯河東IC」を示す標識が小さく見える。
街道は直進していたが、圃場整備で消えてしまった。
このT字路には一里塚を示す錆びた標識がある。
そこには一里塚を示す大きな看板があり、
初めてでも容易に訪れることができる。
眼下に「方形でない水田」が見えてくる。
この畦道が街道の痕跡ではないかと想像した。
単なる作業道なのかも知れない。
合流後、すぐに高速道の下をくぐる。