奥州街道・白坂宿 [MENU]へ戻る
西側に「更衣(ころもがえ)の清水」がある。
芭蕉も立ち寄った清水は築堤の下にある。
この辺りには一里塚があったが、
現在は痕跡すらない。
大規模な改修工事が成された筈であるが、
石碑は意外と残されている。
現在でも地元の方々に
大切にされているようである。
ここには珍しく勢至菩薩の石碑があった。
長州藩・大垣藩士戦死の地を示す石碑がある。
画像左の石柱がそれ。
奥に見える丘陵を越えると・・・。
大きな旧家の前に掲示板があった。
当時は高札場だったのかもしれない。
それもなんと二基共現存している。
奥州道が整備される以前の古街道が
ここを通っていたのだ。
塚前後の道形は消え、耕地化されていた。
全国各地にありますがね・・・。
入り口の示す案内標識の足元に
石製の古い標識が倒れていた。
「金賣・・・」と読める。
草に埋もれている。
夏には見えなくなりそうだ。
その前に一里塚があった。
付近の沼を埋める為に崩された、とのこと。
今では跡を示す標識すらない。
「一里段」という地名だけが残っている。