奥州街道・白坂宿       [MENU]へ戻る

国境からわずか200m程北上すると、

西側に「更衣(ころもがえ)の清水」がある。

芭蕉も立ち寄った清水は築堤の下にある。

この辺りには一里塚があったが、

現在は痕跡すらない。

 

 

 

後に国道化されたルートであるから

大規模な改修工事が成された筈であるが、

石碑は意外と残されている。

現在でも地元の方々に

大切にされているようである。

ここには珍しく勢至菩薩の石碑があった。

 

                      

白坂宿の入り口に

長州藩・大垣藩士戦死の地を示す石碑がある。

画像左の石柱がそれ。

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国境から1km程で白坂宿に入る。

奥に見える丘陵を越えると・・・。

 

 

 

 

 

 

皮籠(かわご)の集落に入る。

大きな旧家の前に掲示板があった。

当時は高札場だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

皮籠集落から1km程東に一里塚がある。

それもなんと二基共現存している。

奥州道が整備される以前の古街道が

ここを通っていたのだ。

塚前後の道形は消え、耕地化されていた。

 

 

皮籠集落の西には金売吉次の墓がある。

全国各地にありますがね・・・。

入り口の示す案内標識の足元に

石製の古い標識が倒れていた。

「金賣・・・」と読める。

 

 

 

集落の外れに、ひっそりと馬頭観音碑が

草に埋もれている。

夏には見えなくなりそうだ。

 

 

 

 

 

皮籠集落の北500m程の地点に病院があり、

その前に一里塚があった。

付近の沼を埋める為に崩された、とのこと。

今では跡を示す標識すらない。

「一里段」という地名だけが残っている。

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