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釈迦堂川を越えると対岸は、

越後高田藩中宿村です。

越えた直後の道筋は宅地化が進み判然としません。

街道は鎌足神社の南側を通り、

すぐに折れて北上してました。

 

 

北上するとすぐに工場があります。

大正6年にできた工場によって

道筋は失われました。

迂回します。

 

 

  

                     

迂回して工場の北側に出ます。

旧K355です。正面の陸橋が新K355です。

左折方向が街道(=旧K355)なのですが、

道標にガムテープが貼られています。

画面手前の消えそうな白線が

ほぼ街道に一致してます。

 

 

ここには踏み切りがあったのですが、

陸橋の開通と共に、閉鎖されました。

迂回します。

(第2奥州街道踏切)

 

 

 

踏み切りの北側に出て、振り返った所。

天下の奥州街道=R4も遂に閉鎖、

しかも車両進入禁止であります・・・。

 

 

 

 

 

踏み切りの北側は越後高田藩下宿村です。

現在は市道下宿滑川線です。

 

 

 

 

 

 

下宿のはずれで新K355を横断します。

左に見えるのは茶屋池公園で、

当時ここには馬宿があり、池がありました。

 

この元馬宿はなんと管理人の親戚宅であった

 

 

 

下宿の北は上り坂になっています。白石坂です。

坂の途中に森宿の一里塚がありました。

現在は跡地に石碑が集められ、

標石があるのみです。

 

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