白河街道・勢至堂峠→唐沢 その3     [MENU]へ戻る

峠道に入ってすぐの所。

大きな落石がゴロゴロしていて危険な雰囲気だ。

野鳥がさえずり、山菜も豊富な様子。

左側の崖下に殿様清水が見えている。

 

 

 

 

右にカーブしてすぐ切り通しの坂道になる。

ここには当時の石畳が残ってるのだが、

画像では落葉に埋もれて見にくい。

秀吉の会津入りに合わせて、

伊達政宗が普請したものである。

 

                     

10分ほどで明るく開けた所に出る。

旧勢至堂峠の頂上だ。

藩境界標に「是より西北会津領」とある。

説明によると、長らく所在不明になっていたが、

湖南町史談会々員が1995年山中で発見し

ここに運んだもの、とのこと。

しかし、なぜこんなものが行方不明に・・・?

 

  この広場には茶屋跡や戊辰戦争の際、会津軍が築いた土塁もある

峠から15分ほど北へ下ると、

勢至堂トンネル上部に出る。

右に階段が設置されているが、

街道は画面左へ進み、坑門上部を横断する。

 

 

 

 

林道に削られて、徐々に狭くなってゆく街道。

林道まで降りたらUターンし、画面右下へ進む。

 

 

 

 

 

 

すぐにR294と合流する。

しかし、この部分が白河街道かどうかは不明。

トンネルが通った為、

旧状が保たれているとは思えないのだ。

街道は新国道を横切り、さらに向こうの旧国道に

合流するのだが、合流点は判らなかった。

 

 

旧国道に合流した街道も、すぐにまたR294に戻る。

こちらは完全に通行止めだった。(2004.04現在)

2003年8月からは全面開通らしい。

 

 

 

 

 

R294を少し下ると、唐沢の集落に出る。

集落といっても世帯数は二戸。

そのうち一戸は磯貝家で、新旧勢至堂峠にて

大正末期まで茶屋を営んでいた磯谷権四郎

子孫の家ではないだろうか。

 

 

 

唐沢から北西に1km程進むと、左に分岐がある。

これは昭和8年に完成した林道なのだが、

この分岐に道標がある。

「右 山道 左 白河街道」とある。

この付近に唐沢の一里塚があったが、

戦後開拓され、現在は痕跡すらない。

[MENU]へ戻る   前に戻る   次へ進む→