白河街道・福良宿                   [TOP] [MENU]

 

山王峠から西へ1km進むとT字路がある。

右が街道で、ここが福良宿の入り口である。

左も古くからの道で、馬入新田、隠津島神社、

岫(くき)峠(現・馬入峠)を経て、

太平から白河に至る近道であった。

そのため馬入新田には口留番所も置かれた。

 

右折してすぐ左側に、大きな屋敷がある。

由緒ある家柄と思われるが、残念なことに

現在は無人のようである。

 

 

 

  

                     

福良も宿内で屈曲している。

ここを右折する。

 

 

 

 

 

右折するとすぐに中川を渡る。

中川は宿場を形成する際、菅川の流れを変えて

人工的に引かれた川である。

川の手前右側に本陣があった。

川を挟んで問屋、その正面に御用場があった。

 

 

 

御用場とは、本陣の指図で御用を勤めた所で、

代々武藤家が勤めた。

最近まで当時の建物が現存していたが、

解体されてしまった。

この画像は2003年4月のもので、このときにはまだ

門と屋敷を囲む土塀が残されていた。

 

 

これが2004年6月、同じ場所を撮影したもの。

カリブが止まっているのが、門があった場所である。

蔵と松の木を残して更地になってしまった。

余りにも悲しい風景だ。

これでいいんですかね、我が日本は・・・。

 

 

 

宿場の中央に、北に分岐する道がある。

県道234号舟津福良線である。

この角に福良村の道路元標がある。

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西へ進み、福良宿を出る。

旧街道の面影を残す松並木が、一部残存している。

そこは千手院の入り口で、湯殿山などの

石碑が並んでいる。

 

 

 

 

さらに西へ進むと深い切り通しが見えてくる。

この辺りに一里塚があった。

南側(画像左)の塚は早期に壊され、

北塚は戦後まで残っていたが、耕作され現在は

畑になっている。

 

 

北塚があった畑の西側に、

白河街道福良一里塚」の石碑が建てられている。

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