宿場の手前350mの所に線形改良の痕跡らしき
半月型の土地があるが、その路肩に石碑がある。
これが原の一里塚の跡である。
国道を横断する水路を越えると原村宿に入る。
ここはかつて枡形になっていた。
ここの右側が御用場であった。
ここにはかつて本陣があった。
現在でも本陣を勤めた坂内家が
代々局長を勤めている。
注目はその二軒手前のこの物件である。
今でも壁に「あ免や」と、屋号の文字がある。
明治以降の建物だと思われるが、
残って欲しいものである。
ここに昭和12年の銘がある道標がある。
「向 経東田面至経澤」
「右至安積郡々界」 「左湊村役場」とある。
ここが宿場の北端で、枡形があった。
そこに石碑が二つある。
一つには「湯殿山」とあるが、もう一つのは
磨耗が激しく読み取れない。