白河街道・原村宿                     [TOP] [MENU]

国道に合流して北上すると原村に入る。

宿場の手前350mの所に線形改良の痕跡らしき

半月型の土地があるが、その路肩に石碑がある。

これが原の一里塚の跡である。

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やがて集落が見えてくる。

国道を横断する水路を越えると原村宿に入る。

ここはかつて枡形になっていた。

ここの右側が御用場であった。

 

  

                     

街道西側に大きな屋敷があるが、由来は不明。

 

 

 

 

 

 

 

さらに進むと特定郵便局がある。

ここにはかつて本陣があった。

現在でも本陣を勤めた坂内家が

代々局長を勤めている。

注目はその二軒手前のこの物件である。

 

 

旅籠をしていた分家アメ屋の建物である。

今でも壁に「あ免や」と、屋号の文字がある。

明治以降の建物だと思われるが、

残って欲しいものである。

 

 

 

 

集落の北端近くに、東に入る分岐がある。

ここに昭和12年の銘がある道標がある。

「向 経東田面至経澤」

「右至安積郡々界」 「左湊村役場」とある。

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民家が切れる所に分岐がある。

ここが宿場の北端で、枡形があった。

 

 

 

 

 

原村宿を出るとすぐに川を渡る。

そこに石碑が二つある。

一つには「湯殿山」とあるが、もう一つのは

磨耗が激しく読み取れない。

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