ずっと緑地帯が続いている。
街道と関係があるのか、道路拡張の為の
買収済み用地なのか、不明である。
この辺りにはかつて松並木があったが、
現在は全く残っていない。
南松という字名だけが残っている。
画像右に写るのは、南松バス停である。
国道と水田に挟まれた未舗装道に入る。
奥に見える山は背炙山で、滝沢峠を越えるルートが整備されるまでは、この山を越える険阻なルートが白河街道であった。
豊臣秀吉もこのルートを通って会津に入った。その為今でも「関白平」という地名が残っている。
単なる作業道の可能性もある。
左に県道374号東山温泉線の終点が見える。
人家が二軒しかなかった為に二ツ屋になり、
現在では二ツ谷となっている。
世帯数が増えたからでしょうか?
この合流点の岩の上に石碑群がある。
すぐにまた左に入る。
この細道が旧街道である。