相馬街道・存伋→夏刈                     [TOP] [MENU]

廃道と化した五郎壇坂を迂回し、車道を進む。

相馬街道ではないが、こちらも中々興味深い。

削っただけの法面、狭く暗いブラインドカーブ。

奥に民家が見える。

 

 

 

 

民家の壁にはスプレーで文字が書かれている。

「族のいたずらか」、と初めは思ったが違った。

「キケンカーブ 速度おとせ この先も」

事故多発地点のようである。

 

 

  

                     

さて、五郎壇坂の最上部を探さねば。

右に刈り払いされた広場が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

広場に入り崖下を見下ろすと、松並木が見える。

あの辺りが五郎壇坂の一部だろうか?

確信が持てない。

 

 

 

 

 

更に進むと、再び右側が開けた所に出た。

 

(しかし、ガードレールも何にもないな、ここ)

 

 

 

 

 

上の画像の右端に小さく写っているのが

この石碑群である。

資料に、「五郎壇坂の下り口に石碑が三つある」

とあるので、ここが探していた五郎壇坂のようだ。

残念ながら、道形は見つけられなかった。

 

 

見通しの良い稜線の車道を進むと、

前方に切り通しが見えてくる。

これは後年にできた道で、

街道はここを右に迂回していた。

確かに右に入る細道がある。

舗装されているようだが、あれか?

 

舗装されているのは僅かで、

その先は藪道であった。

はァァ・・・・さて、行くか。

 

 

 

 

 

まともに進めるのは10mもなく、

すぐに藪に覆われてしまう。

しかし、路面からの植生は少なく、

左右からの枝張りなので、道を見失うことはない。

画像は、まだ「絵」になり得る箇所での撮影。

 

 

 

道が窪んでくると藪が消え、歩き易くなる。

江戸時代そのままの道だ。感動と興奮を覚える。

今でも通る人がいるのだろうか?

意外ときれいだ。

下ってゆくと前方に光が見えてきた。

 

 

 

藪道を進むこと約50mで突破。

砂利道に出た。

右は民家への道、街道は左である。

 

 

 

 

 

突破地点を振り返り見る。

右の「暗い穴」が相馬街道である。

よほど注意していないと判別不能だ。

 

 

 

 

 

少し進んで振り返ると、そこには石碑があった。

「庚申塔」と彫られている。

ただの私道ではないのだ。旧街道なのである。

 

 

 

 

 

やがて先ほど別れた現道に合流する。

右に舗装された十字路が見える。

 

 

 

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