右にちょっと見えているのが相馬街道である。
ここは江戸期からの交差点で、
夏刈十文字と呼ばれていた。
相馬街道はここを左折(北)していた。
「歴史の道」によると「この十文字には道路改修の際無くなってしまったが、道標があった」とある。
その道標を、上の画像の背後にある民家の庭先で発見した。
教育委員会はご存知なのだろうか?
ピンクの矢印の所に、
行方不明だった道標がある。
私物と化してしまったのだろうか?
「左ハ二本木ニ」
これは二本松のことであろう。
相馬と針道の方向を示している。
私が向うのは、もちろん相馬である。
この坂は水が湧き出る悪路であったので、
相馬藩では幅三尺(約1m)の敷石道に改修した。
現在は普通の舗装道になっている。
その敷石は上太田小学校の石垣に流用された、
との事だが、その小学校は移転してしまって今は無い。
相馬藩公認の街道も、今は農道になっていた。
なるほど、じーさん、堂々のノーヘル運転である。
大きな自然石には像が彫られ、
その前に石碑群がある。
水田の奥に民家が見えてくる。
白髭宿だ。