水田の向こうに見える民家に向って延びていた。
圃場整備の為、街道は消失したが、
まだ一部が残存している。
右下に見える、茶色の部分に行ってみる。
この足元の部分が相馬街道で、
消失部分が水田化しているのがわかる。
街道が延びてる。
肩がぶつかりそうな幅員である。
奥に見える民家は、当時茶屋をしていた。
なんとか一車線確保されている。
右に見える「渡辺商店」も当時は茶屋をしていた。
これが相馬藩・本陣の佐藤家である。
参勤交代の際、相馬藩主が宿泊した。
これが白髭村・問屋の遠藤家である。
塩や絹が積み下ろしされていたのだろう。
ここにも大きな土蔵がある。
説明板が建っている。
観光地化を狙っているのなら、二本柳宿のように
屋号の表示などしてはいかがだろうか。
案内図を見ると↓
宿場の各家には旅籠以外にそれぞれ役割があり、
鍛冶屋、粉挽き屋などがある筈なのだ。
ぜひ、かつての宿場の様子を再現して欲しいと思う。
説明板に出てくる見世物のラクダは、白髭宿を通過後長屋で転倒してケガをし、死んでしまう。
長屋に、このラクダの墓があるとのことだが、発見できなかった。
その対岸に、県道303号石沢萩田線が見えてくる。