相馬街道・白髭宿                   [TOP] [MENU]

街道は現道から右に反れ、

水田の向こうに見える民家に向って延びていた。

圃場整備の為、街道は消失したが、

まだ一部が残存している。

右下に見える、茶色の部分に行ってみる。

 

 

茶色の部分から振り返り見る。

この足元の部分が相馬街道で、

消失部分が水田化しているのがわかる。

 

 

 

 

                     

進行方向を見ると、民家の玄関先に向って

街道が延びてる。

肩がぶつかりそうな幅員である。

奥に見える民家は、当時茶屋をしていた。

 

 

 

 

旧茶屋の前で街道は直角に折れる。

 

 

 

 

 

 

 

コンクリートで舗装され、

なんとか一車線確保されている。

 

 

 

 

 

 

坂を下ると現道に合流する。

右に見える「渡辺商店」も当時は茶屋をしていた。

 

 

 

 

 

旧茶屋の向かい側に大きな土蔵が二つ並んでいる。

これが相馬藩・本陣の佐藤家である。

参勤交代の際、相馬藩主が宿泊した。

 

 

 

 

 

少し先に、大きな赤い屋根の旧家がある。

これが白髭村・問屋の遠藤家である。

塩や絹が積み下ろしされていたのだろう。

ここにも大きな土蔵がある。

 

 

 

 

宿場の北端に東和町観光協会による

説明板が建っている。

観光地化を狙っているのなら、二本柳宿のように

屋号の表示などしてはいかがだろうか。

案内図を見ると

 

 

 

本陣、問屋、茶屋以外は「その他」扱いなのである。

宿場の各家には旅籠以外にそれぞれ役割があり、

鍛冶屋、粉挽き屋などがある筈なのだ。

ぜひ、かつての宿場の様子を再現して欲しいと思う。

 

 

 

  説明板に出てくる見世物のラクダは、白髭宿を通過後長屋で転倒してケガをし、死んでしまう。
  長屋に、このラクダの墓があるとのことだが、発見できなかった。

白髭宿を抜けると、やがて眼下に安達太田川、

その対岸に、県道303号石沢萩田線が見えてくる。

 

 

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