旧国道118号・蝉峠付近の変遷の謎 (天栄村・下郷町) 2013.04 [TOP] [寄り道] [廃道Web]
江戸時代 | 鶴沼川左岸沿いにあった | 天栄村史1 P824 | ||||
二岐温泉分岐が蝉峠の上り口。明治、大正、昭和と改修を陳情したが着手されず | 天栄村史4 P237 | |||||
大正12年 |
1923 | この年発行の「岩瀬郡誌附録地図」では、蝉峠はまだ鶴沼川左岸 | 天栄村史1 P824 | |||
昭和4年 | 1929 | 会津電力が鶴沼川発電所用のダムを建設するため、鶴沼川右岸に作業道を開削 「S62蝉トンネル開通時に廃道」とある →S28図を見る限り、これは誤記ということになる |
天栄村史1 P824 | |||
田代発電所 | 天栄村史1 P828 | |||||
昭和6年 |
1931 | 鶴沼川発電所が運用開始 | 水力ドットコム | |||
昭和17年 | 1942 | 河内川森林鉄道が開通 | ||||
〃 | 白河営林署長・鎮西真衛が湯本村の薪炭を会津線・湯野上駅に搬出するため、 県と折衝して作業道路を営林署負担で車道に改修 (S16〜18在職) (湯本〜田代間の改修工事費を営林署が負担) |
天栄村史1 P824 | ||||
〃 | 蝉峠の付け替え工事始まる (蝉トンネル旧道のことか?) | 天栄村史1 P824 | ||||
昭和18年頃 | 1943 | 白河営林署長に鎮西真郷が着任。林道として開発に乗り出す (長野県下伊那郡大下条村出身) |
天栄村史4 P237 | |||
村民が希少な耕地を無償で提供。大雨で冠水したり、雪崩で不通になる障害も | 天栄村史4 P237 | |||||
昭和26年 | 1951 | 工事再開 (白河の久我組が請負) (現・久我建設か) | 天栄村史4 P237 | |||
昭和28年 | 1953 | 10/15開通 自動車による交通が可能になった (蝉トンネル旧道のことか?) | 天栄村史4 P237 | |||
〃 |
この年発行の5万図では、蝉峠はまだ川の左岸 (修正が間に合わず?) | |||||
昭和61年 |
1986 | 冬、蝉峠トンネルが完成開通 | 天栄村史4 P237 | |||
昭和62年 | 1987 | 7月、蝉トンネル開通 | 天栄村史1 P824 wiki | |||
平成4年 |
1992 | 3月、県道須賀川田島線から国道118号に昇格 | wiki |
? S4に完成した「作業道」は発電所(田代)〜枝松までで、枝松〜ダム(湯本)間はまだ蝉峠を通っていた
? S28に「付け替え工事」が完成し、「自動車による交通が可能」になった
? そのためS28発行の5万図には間に合わなかった
・ダムの工事資材搬送は牛馬により蝉峠経由で? 鶴沼川を利用?
・河内川林鉄で運ばれた木材は、S28の車道開通までの11年間、どうやって蝉峠を越えていたのか? 木馬も無理なので川下りか?
? 河内川林鉄はS40年代まで機械化されず牛力だったから、土場で橇に積み替えて、土場(湯本)〜蝉峠〜枝松までも牛力だったのかも
・白河営林署長・鎮西真衛(鎮西真郷)については全く情報なし
一部に急坂があり、牛はともかく馬での交通は難しそうだ。
レポートはこちら
2007.03
可動水門などは後年の増設と思われる。
その際、石積みの本体をセメントで覆ったようだ。
石はどこから、どうやって運んだのだろうか?
ダムの正面形を橋梁の形式名風に言えば「下曲弦上路式」か。
2005.04