河内川森林鉄道1 (天栄村)   2007.04        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

この林鉄に関する唯一の資料である「トワイライトゾ〜ン6」にさえ、短く紹介されているだけの謎の多い林鉄である。
しかしこの2月、当サイトの読者であるストネコさんの聞き込みにより、起点付近の様子が明らかになった。
早速取材を開始。「トワ6」に写真がある上流部も、合わせて探索してみることにした。

  昭和22年(1947) 営林署により開業。当初は人力であったが、後に牛力になった (林用牛車軌道とは珍しい!)
  昭和40年頃 成井農林が伐採権を取得。同時に動力が機械化されたが、
    自動車のエンジンを流用した自作の機関車だった
  昭和45年(1970) この頃、廃止
   

以上、ストネコさん調べ

      ●     ●     ●
       
 

成井農林

明治34年(1901)  薪炭製造、販売会社として創業。
昭和26年(1951)  株式会社化。製材業に転向後は営林署の事業も請け負っていた。
昭和49年(1974)  ゴルフ事業に参入。福島県では「白河国際CC」、「郡山熱海CC」の他、
   猪苗代町の「世界のガラス館」「猪苗代地ビール館」で知られる。
平成16年(2004)  バブル崩壊により倒産。負債総額は約511億円。

・緑線は車道

・赤線は探索済み

・ピンクは推定

     

延長6.2kmのうち、調査が終了したのは赤で示された部分に過ぎない。全体の1/4程度だろうか。
こんな状態ではあるが、とりあえず第一次、第二次調査の結果を掲載する。


国道118号線上から東方を見る。

右の高台上に河内川林鉄の起点の土場があり、

そこへ通じる車道が正面の斜面に付けられていた。

紅白の車止め付近が分岐点。

 

 

 

分岐点に接近すると、蔓に覆われた丸太の残骸が見えてくる。

なんだろうか?

 

 

 

 

 

 

それは木橋であった。

木製車道橋の残骸が残っていることは非常に珍しい。

普通は新橋完成後に撤去されてしまうからだ。

この場合は橋が更新されることなく放棄されたので残ったのであろう。

林鉄の木橋と同様だ。

 

 

 

 

 

奥の橋桁は、まだ橋台に載っている。

 

 

 

 

 

 

 

手前の橋台。

丸石を積み上げ、セメントを充填してある。

 

 

 

 

 

 

対岸に渡って振り返る。

夏には全く見えなくなるであろう。

実際、奥に見える国道は何度も通っているが、

ここにこんな廃橋があるなんて、

ストネコさんに教えられるまで気が付かなかった。

 

 

 

路面あったはずの敷板は先に朽ちてしまったのか、

固定していた釘だけが林立している。

 

 

 

 

 

 

振り返ればそこには土場に通じる道がある。

思った以上にすっきりしている。

 

 

 

 

 

 

ややぬかるむ道を緩やかに上って行く。

管理されているわけでもないのに非常に状態が良い。

 

 

 

 

 

 

同地点を国道から望む。

これにも気が付かなかったなあ。

 

 

 

 

 

 

ガードレールが落ちていた。

法面の上を通る河内林道のものであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

徐々に藪が濃くなってくる。

イバラの棘を避けながら突破。

 

 

 

 

 

 

河内林道の奥に建物が見えてきた。

土場跡に建てられた天栄村の公共施設である。

 

 

 

 

 

 

河内林道上から車道跡を振り返る。

この林道は走ったことがなかったな。

 

 

 

 

 

 

右の高台が河内林鉄の土場跡である。

ここで原木や木炭をトラックに積み替え、

会津方面に運んでいた。

軌道跡の探索は次回からになる。

                 次へ進む→

      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]