旧国道121号線・片洞門2 (下郷町) 2004.10 [TOP] [寄り道] [廃道Web]

 

片洞門の下に入る。

危険や恐怖は感じなかった。

下に平面があるが、断面を見るとアスファルトであった。

間違いなく、ここは道路だ!

しかし、舗装された路面はここでしか発見できなかった。

他は全て流されてしまったのだろうか。

高さは約4mと非常に低い。

バスやトラックは通行上能だと思われるが、

実際はどうだったのだろうか。

 

壁面を観察すると、

削岩機を突っ込んだ跡が多数あった。

比較的新しく見えるので、後年、崩落の

危険部位を削除した痕跡ではないか、

と想像した。

 

 

                    

現橋との位置関係を確認する。

現道よりやや下方に位置するため、

この道の存在に気が付くドライバーは

少ないと思われる。

 

←ここで路肩に注目。

 

 

ガードレールだ!

ここを、こんな所を、

自動車が通っていた証だ。

さすがに国道らしく、

離合可能な幅員がキープされていた。

ガードレールはなぜかピンクであった。

 

 

今くぐり抜けた片洞門を振り返り見る。

今回のベストショットである。

削り取られた岩壁。

わずかに残るアスファルト舗装。

路面から伸びた多数の樹木。

もう説明など必要ないだろう。

しばらく見ていた。

 

 

 

再び壁面を観察。

ヒビにモルタルを充填して修復してある。

削岩機で削ったり、ヒビを補修したり、

どうやら管理されている様子だ。

もちろん「近代土木遺産の保護」ではなく、

現道管理の一環なのだろうが。

 

 

さらに進むと現道との合流点が見えてくる。

桟橋が迫り、幅員が急激に減少する。

 

 

 

 

 

 

路肩を見るとガードレールが千切れていた。

落石がぶち破ったのであろう。

これを見て初めて恐怖を感じた。

右上に橋桁、その奥に橋台が見える。

 

 

 

 

身を乗り出して下を覗きこむと、垂直の石垣が見えた。

こんなので絶壁に幅員を稼いでいたのだ。

大変な難工事であったことが窺えるが、

その職人技は今なお路面を支え続けているのだ。

その遺構も、現橋によって一部崩されている。

 

 

 

 

 

現橋と干渉しないように

ガードレールが切断されている。

目前の橋上を途切れることなく車が通ってゆく。

以前は足元の道を慎重に通過していたんだろうな。

 

 

 

 

 

 

振り返るとそこにも片洞門があった。

最初のものより掘りが浅い。

夫婦岩の「婦」の方なのかな?

 

 

 

 

 

コンクリートの法面を右側に見つつ、

現道に合流して旧道は終了する。

短い区間だったが非常に濃い探索であった。

 

植物の種が大量に付いたよ(T_T)

 

 

 

 

 

 

  <追記> 2004.11

「南会津郡五島村地内字中●夫婦石ノ景」

(「●」は山かんむりに弗で「へつり」)

このセピア画像と同じ場所であろう。

なんと、この場所は三島通庸が造らせた

会津三方道の遺構であった。

すげー!

(「福島県立図書館デジタルライブラリー」より引用)

 

一番手前の部分など、

現在も当時のままの状態を

保っているように見える。

いやー、凄いわ。

 

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