日曹常磐炭鉱専用鉄道 (いわき市赤井)  2007.01/02     [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]
  日曹赤井炭鉱専用鉄道
   

国鉄 品川白煉瓦専用軌道 日曹常磐炭鉱専用鉄道 日曹赤井炭鉱専用鉄道

明治30年(1897) 常磐線が平駅(現いわき駅)まで開通
  明治40年(1907) 赤井鉄道が赤井の常住炭鉱〜平駅間に軌道を設置 軌間 762mm 馬力 旅客も行っていた
  明治41年(1908) 赤井軌道に改称
  大正04年(1915) 平郡東線(磐越東線)が開通
  大正06年(1917) 赤井駅開設に伴い、接続駅を平駅から赤井駅に変更。平までの軌道を廃止。旅客も中止
  大正07年(1918) 常磐(ときわ)炭鉱と朝日鉱業が共同で赤井駅まで鉄道を設置 軌間 1067mm 蒸気
  大正11年(1922) 軌道を利用していた品川白煉瓦が赤井軌道を買収
  昭和15年(1940) 日本曹達(ソーダ)系の日曹鉱業が買収
  昭和16年(1941) 日曹鉱業が赤井炭鉱〜赤井駅間に鉄道を設置 軌間 1067mm 蒸気
  昭和20年(1945) 鉄道を単独で利用していた妙高企業(日曹系)が閉山。休線状態となる
  昭和23年(1948) レールを撤去。北海道の日曹天塩炭鉱に転用
  昭和30年(1955) 品川赤井炭鉱が閉山。翌年、廃線。 機械化されることなく、終始馬力であった
  昭和34年(1959) 日曹炭鉱・赤井鉱山が閉山。昭和47年、正式に廃線
   

出典 小宅幸一著 「常磐地方の鉱山鉄道」


目がチカチカするような派手な年表で申し訳ないが、

全く異なる4本の路線を一度に掲載したためこうせざるを得なかった。

上の年表もこの航空写真も、各路線と色が合致している。

私自身も歴史やルートの複雑さに翻弄されながら作成しており、

この画像も公開までにかなりの回数差し替えしている。

 

 

 

 


<分岐点> 

築堤上の道床がこの辺りから複線のように広くなっている。

専用鉄道はここから分岐していたと思われる。

 

 

 

 

              

小さな踏切りから北側は駐車場や宅地に転用され、

線路跡は残っていない。

築堤上がそのまま細長い駐車場になっている。

 

 

 

 

 

鉱山会社の専用鉄道跡なので私有地かと思ったら、

駐車場の擁壁の下に「工」の標柱があった。

専用線とはいえ、敷地は国鉄の所有だったようだ。

 

ここから先は宅地や車道に転用されているので

大きく迂回して進む。

 

 

 

 

<A地点> 

赤井駅の北側に踏み切りがあるので入ってみる。

磐越東線の西側に平行して日曹赤井炭鉱専用鉄道(ピンク)が、

その西側を品川白煉瓦専用軌道(黄)が通り、

さらに西側を日曹常磐炭鉱専用鉄道が通っていた。

日曹常磐線は現在車道になっている。

 

 

磐越東線の西側は現在でも日曹の所有地のようで、

「日曹炭鉱」の標柱が線路に平行して並んでいた。(上の画像参照)

何気ない場所で見る「炭鉱」の文字に興奮する。

 

 

 

 

 

 

 

踏み切りから赤井駅方面を振り返る。

右側の草地が日曹赤井線の道床跡。

その右側の駐車場が品川白煉瓦専用軌道の終点で、

当時ここに積み替え施設があった。

積み替えられた粘土と石炭は、磐越東線〜常磐線を経由して

湯本駅まで運ばれ、駅の西側にあった品川白煉瓦の工場に

輸送されていた。

 

踏み切りから鉱山方面を見る。

品川白煉瓦の道床は工場や宅地となって消えているが、

日曹赤井線の道床は更に奥へと続いている。

 

 

 

 

 

踏み切りから60mほど先で水路を渡る。

ここに橋が残っていた!

隣にある磐越東線のガーダー橋名から取って

「日曹日渡橋梁」と命名しておく。 昭和16年(1941)製

 

この付近から山越えに備えて上り勾配が始まる。

 

 

2mほどの簡素なコンクリート橋。

周囲は除草されており、保存状態も良い。

 

 

 

 

 

 

横から見てみる。

欄干のような凸凹にはどんな意味があるのだろうか?

 

かなり手前に「工」の標柱が見える。

分岐点付近も「工」だったが、踏み切り付近は「日曹炭鉱」と

なっていた。境界が複雑に入り組んでいるようだ。

 

 

さらに200mほど進むと、築堤の高さはこれ程になる。

築堤の上を磐越東線と日曹赤井線が通り、

築堤の下を品川白煉瓦線と日曹常磐線が通っていた。

昭和16年(1941)から昭和23年(1948)までの7年間は、

ここに4本の線路が通っていたわけだ。

 

 

 

<B地点> 

4本並んで走るのもここまでで、

ここからは各鉱山に向かって分散が始まる。

足元には「工」の標柱が見える。

 

 

 

 

<C地点>

磐越東線とずっと併走していた日曹赤井線だが、

この辺りから徐々に離れて行く。

 

 

 

 

 

県道を跨ぐ赤井架道橋までは道床が残っているが、

この先に続くはずの築堤は磐越東線のものしかない。

左奥にある鉱山に向かってカーブする築堤があったのだが、

団地として開発する際に壊されてしまった。

 

 

 

 

赤井架道橋を西側から見る。

現在、車道は掘り下げられて線路の下を通っているが、

赤井軌道がここを通っていた時期は、平面交差していた。

 

架道橋がかなり高い位置にあるが、磐越東線も嵩上げされたのだろうか?

 

 

 

<D地点>

日曹赤井坑の広大なヤードは宅地として開発され、

鉱山の遺構はほとんど残ってない。

後方はズリ山だろうか。

 

 

 

 

団地の北側には、積み込み施設があった斜面が広がっている。

現在は藪山になっているが、その中に選鉱場の土台と思われる

遺構が残っているのを見つけた。

専用線終点と思われる場所も、今は民家が並んでいる。

 

 

 

<E地点> 

さて、赤の日曹常磐線。

B地点からカーブし、県道に合流して西へ併走していた。

何も知らずに初めて通った時から、この道の幅の広さには

違和感を覚えたものだったが、今ならその理由も納得だ。

歩道と花壇の部分が日曹常磐線の線路跡である。

品川白煉瓦線は車道の右側を通っていたようだ。

 

<F地点> 

やがて車道は集落に入って行く。

ここを車道の他に2本の線路が通っていたという現実を

にわかには受け入れ難い。

1本は狭軌で道路併用だとしても、もう1本は1067mmの標準軌。

貨車を引いた蒸気機関車が走っていたと言うのである。ここを。

玄関から一歩外に出ると、レールを踏んでしまうではないか。

 

証拠がある。

車道橋の架け替えの際に壊され、半分になってしまったが、

レンガ製の橋台が残っているのだ。

橋台の幅から推測すると、当時の車道は現在の半分ほどの

幅員になってしまう。その狭い車道上に、さらに軌道が・・・。

 

「ねじ式」。。。

 

東側の橋台。

排水溝が設置されたために、非常に汚い状態になっている。

貴重な産業遺構なのになあ。

 

大正07年(1918)製

 

 

 

常住川橋梁の全体像。小さな橋だ。

ここから先の線路跡は宅地や車道になってしまっている。

終点のヤードも宅地化が進んでいるとのこと。

 

 

 

      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 


赤井軌道→品川白煉瓦専用軌道 (いわき市赤井)  2012.06        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

「いわきの昭和」という写真集にてこんな1枚を見つけた。

「赤井村に初めて自動車が走るというので、見物に集まった村の有力者など」とあり、

撮影されたのは「昭和7年」とのこと。

さらに路面のレールについては「赤井〜小川郷間に敷設されたもの」とある。

 

 

 

大人も子供もみな着帽・正装している。 これが初めて自動車を見る際の正しい姿なのだろう。

「注意 危険」の看板は各地の軌道脇でよく見られる。

それよりも群集の後方にチラリと見える車両が気になる。

中に人が乗っており、ハンドルを握っているように見える。 これが「初めての自動車」なのだろうか。 確かにナンバーらしき数字も見える。

しかし「主役」であるはずの自動車が人の影になってしまっているのはなぜだろうか?

レール上にいるが、まさか自動車を改良した気動車ではないだろうな。

 

さて、この軌道の正体と撮影場所について考察してみよう。

まず、「赤井〜小川郷間に敷設された軌道」は磐越東線しかない。

磐越東線は併用軌道ではないから、本の説明は誤りということになる。

 

 

 

 

 

 

ではどこで撮影されたのだろうか?

私は当初E地点付近ではないかと推測したのだが、撮影された昭和7年には品川白煉瓦日曹常磐炭鉱の2本のレールが併走してたはずだ。

炭鉱より西側だと併走区間も終了し、写真のような単線になるが、村中心からはだいぶ離れることになる。

初めて来訪する自動車を見るために、わざわざ村はずれまで出迎えに行った、ということなのだろうか。

 

だとすると撮影場所は赤井村西側の常住付近。道は現在の県道133号赤井停車場線。

レールは品川白煉瓦専用軌道のもの、ということになりそうだ。

これは明治40年(1907)に赤井鉄道(翌年、赤井軌道に改称)が常住炭鉱〜平駅間に設置した馬車軌道で、

大正6年(1917)接続駅を平駅から赤井駅に変更。

大正11年(1922)品川白煉瓦専用軌道に買収され、昭和30年(1955)に廃止されている。

 

   

国鉄 品川白煉瓦専用軌道 日曹常磐炭鉱専用鉄道 日曹赤井炭鉱専用鉄道

明治30年(1897) 常磐線が平駅(現いわき駅)まで開通
  明治40年(1907) 赤井鉄道が赤井の常住炭鉱〜平駅間に軌道を設置 軌間 762mm 馬力 旅客も行っていた
  明治41年(1908) 赤井軌道に改称
  大正04年(1915) 平郡東線(磐越東線)が開通
  大正06年(1917) 赤井駅開設に伴い、接続駅を平駅から赤井駅に変更。平までの軌道を廃止。旅客も中止
  大正07年(1918) 常磐(ときわ)炭鉱と朝日鉱業が共同で赤井駅まで鉄道を設置 軌間 1067mm 蒸気
  大正11年(1922) 軌道を利用していた品川白煉瓦が赤井軌道を買収
  昭和15年(1940) 日本曹達(ソーダ)系の日曹鉱業が買収
  昭和16年(1941) 日曹鉱業が赤井炭鉱〜赤井駅間に鉄道を設置 軌間 1067mm 蒸気
  昭和20年(1945) 鉄道を単独で利用していた妙高企業(日曹系)が閉山。休線状態となる
  昭和23年(1948) レールを撤去。北海道の日曹天塩炭鉱に転用
  昭和30年(1955) 品川赤井炭鉱が閉山。翌年、廃線。 機械化されることなく、終始馬力であった
  昭和34年(1959) 日曹炭鉱・赤井鉱山が閉山。昭和47年、正式に廃線
   

出典 小宅幸一著 「常磐地方の鉱山鉄道」


  品川白煉瓦(株)   東京駅猪苗代第二発電所の赤レンガはこの会社が製造したもの
  日本曹達(株)   日曹財閥の創始者・中野友礼は福島県大沼郡出身。旧会津藩士の次男

                                                 [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]