原町森林鉄道・木戸支線 (浪江町)   2006.06        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

本線・馬場線から北に分岐する支線である。

現在の馬場林道は、この支線を通っており、

よって軌道としての痕跡は薄い。

 

なお、支線の名称は仮名である。

 


馬場線本線と見られる分岐を左に見つつ、

急坂を上って行く。

 

 

 

 

 

車道化され、馬場林道となった木戸支線を進む。

500mほど進んだ所で峠の切り通しに出る。

10000以来ここまでの間、距離標は見つかっていない。

 

 

 

 

峠に車を停め、少し戻った路肩に橋台を見つけた。

いかにも「手押軌道」といった風情のもので、

非常に小さなものである。

 

 

 

 

              

1mほどの小沢を越えた対岸の橋台の様子。

ちまちまと石が積まれているのが判る。

 

 

 

 

 


  <再び馬場線へ>

切り通しの斜面を上り、数百m西にあるはずの

本線の切り通しを探しに行く。

上から見る木戸支線の切り通しはかなり深いが、

これは車道化の際に掘り下げられたものだろうか。

だとすると、軌道時代はもっと勾配がキツかった事になる。

 

 

 

稜線上には明瞭な踏み跡があり、迷う事はない。

現在でも山仕事で歩く人がいるようだ。

 

 

 

 

 

 

しばらく歩くと下りになり窪地に出る。

ここが馬場線跡の切り通しだろうか。

よく見ると、築堤状の道がある。

う〜ん、微妙だ・・・。

ここからは藪が深くなったので、引き返した。

木戸支線の峠に戻る。

 

 

 


峠からはクネクネとした下りになる。

木材を積んだトロッコを人が押して

この坂を上ったのだろうか。

かなり重労働だったと思われるが、

後に機関車が導入された可能性もある。

林道の標識の支柱はすべて廃レールであった。

 

 

坂を下りきり、里が近づいてきた所で

久しぶりに距離標を見つけた。

意外なことに、一五五○○とある。

原町市馬場の起点から延々と、15.5km続いていたのだ。

 

 

 

新たな発見は当然嬉しいのだが、これは問題を発起する物件でもある。

これはバッカメキ以西にも機関車が導入されていた、

という証拠になりはしないのか?

そもそも、なぜ支線に距離標の続きがあるのだ?

もしかしてこちらが本線か?

新たな発見が新たな疑問を呼び、飽きることがない。

 

 

 

 

ところでこの距離標は枯れ沢のような所に立っているが、

その沢筋に、上流に向かって丸太が並んでいる。

軌道跡の枕木か、とも思ったが、ソリが通るための木道かも知れない。

廃された枕木を流用した可能性もあるな。

 

 

 

 

 

 

すぐ先のカーブで馬場林道は終点になるが、

軌道跡はさらに続く。

 

 

 

 

 

 

耕地の中を数百m進むと、砂利道に合流する。

これがロングダートの県道として有名な

県道62号原町二本松線である。

ここが木戸支線の終点だ。

(以前はここに馬場林道の標識があったとか)

 

 

終点を反対側から見る。

この辺りには平場があるので、事業所なり土場なりが

あったのかも知れない。

 

 

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