原町森林鉄道・馬場線4 (原町市〜浪江町)   2006.06     [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

明治41年(1908)原町林鉄の本線たる馬場線敷設。

昭和4年(1929)新田川線の敷設工事開始。

昭和14年(1939)陸軍飛行場建設のため一部移設。

新田川線から分岐するルートに変更される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  <バッカメキ事業所〜支線分岐>

横川入から馬場林道に入って約4km、

バッカメキ事業所に至る分岐に到達した。

 

タコウ(タコ)、バッカメキ(バッカミキ)という地名は
アイヌ語が語源であるらしい。
ちなみに「ワッカ(wakka)」は飲用水をさす。
「若」や「和賀」(岩手)に変化して本州にも残っている。

 

 

橋を渡る前に、この橋を観察する。

非常に簡易な橋であるが、強度はあるようだ。

これなら安心して渡れる。

施錠された橋を徒歩にて渡る。

[2007.03] 追記
バッカメキ林道も軌道由来とのこと
(やまちゃん氏投稿の元営林署職員の証言)

           バッカメキ支線へ進む→

 

橋を渡るとやがて分岐があり、そこを左に入ると

すぐに広大な平場がある。 ここが事業所跡である。

宅地分譲地のような四角い区画がいくつもあり、

それらを巡る道路は、驚くことに全て舗装されている。

かなり大規模な事業所だったようで、

林業従事者の子弟が通う学校もあったと言う。

 

  

この付近を空から見てみる。

校庭のような広い敷地が見られるが、建物の数は少ない。

まだ舗装もされていないように見える。

 

 

 

(「国土交通省・国土情報ウェブマッピングシステム」より転載)

 

ここと思われる写真を見つけたので引用する。

人工的な集落としてはかなり広く、

学校があったというのもうなずける。

中央左寄りには橋らしきものも見える。

 

 

 

[2009.02]追加

「交通にみる近代化」(野馬追の里歴史民俗資料館)より引用

 

さて、馬場線に戻ろう。

バッカメキの分岐の先には長い石垣が見られる。

斜面の上部にも小規模な擁壁が見える。

鉄道時代の遺構だろうか。

「トワイライトゾ〜ン MANUAL6」によると、
ここから先は手押軌道の表記になっている、とのこと。

[2007.03] 追記
終点の長兎路土場(現・長泥)まで機関車が入っていた、とのこと。

(やまちゃん氏投稿の元営林署職員の証言)

 

事業所跡から数百m進むと、左側に分岐がある。

これも軌道由来の林道で、現在は明治林道と呼ばれる。

私は未探索だが、MRさんによって2000の距離標が

確認されている。 仮に明治支線と命名しておく。

2.5kmほど先で、鉄山支線に合流していたと見られる。

            明治支線に進む→

 

 

支線分岐から先は勾配がきつくなり、路面も荒れてくる。

これで手押しとは、なんとも酷な事である・・・。

空荷の上りは馬が曳いた、とのことではあるが。

 

倒木を避け、あるいは踏み付けて通過すると、

奥に橋が見えてきた。

 

 

なんとも頼りない雰囲気である。

施工は古そうだが、軌道橋の転用ではないようだ。

軌道の橋はもっと上流の低い所に架かっていたのかも知れない。

 

 

 

 

この辺りに本支線の分岐があるはずだが、

どうもよく判らない。

これが目的の分岐だろうか?

実は左の藪道が本線で、直進する車道林道が支線なのである。

仮に木戸支線と呼ぶ。

                   木戸支線へ進む→

 

馬場線本線らしき道は、山の奥へと続いているが、

ここからは未探索。

やがて藪に埋もれると思われる。

 

 

 

 


  <終点まで>   2006.07

峠を越えた馬場線は里に下り、耕地の中を通り、比曽川を渡って

蕨平で足元のK62に合流していたと見られる。

畦道のどれかが軌道の痕跡なのか、それとも既に消失したのか不明。

橋の痕跡も、護岸工事により消えたようだ。

 

 

 

 

 

併用軌道としてしばらく進むが、すぐに分岐がある。

左が軌道跡と思われるが、右の県道は後からできた

バイパス道の可能性もある。

 

 

 

 

 

それからは県道と重なり、または比曽川沿いを進み

西へ進んでいたが、道路や河川の改修が進んだため

痕跡は見られない。

 

 

 

 

 

やがて飯舘村・長泥地区に至り、

国道399号線と交差する。

この辺りは併用軌道だったらしい。

 

 

 

 

交差点を直進し、少し進んだ所が

原町森林鉄道の本線たる、馬場線の終点、

あるいは起点である。

特に何の痕跡もなく、単なる路上である。

 

 

 

 

全林野労組前橋地方本部が平成元年(1989)に発行した

「山にはたらく」という写真集にこの付近の写真があった。

木橋を渡って丸太が運ばれてくる。

レールは見えないが、そこまで馬で運んでいたのだろう。

[2009.02]追加

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