原町森林鉄道・明治支線1 (浪江町〜南相馬市) 2007.03 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
来歴は全く不明。
実は軌道跡かどうかさえ確証が得られていない。
[2007.03] 追記
「鉄山支線との合流地点の土場まで軌道があった。
途中に枝線もあったと思う」
(やまちゃん氏投稿の元営林署職員の証言)
この時は馬場線の探索がメインだったため、
様子を見るだけで進入はしていなかった。
2007年3月、再訪。
かつてここには木製の門が設置されており、
それは軌道時代からあった、との情報も寄せられている。
(その門は現存している、との情報もあった)
原町森林鉄道・明治支線に進入する。
なお、この林道が鉄道由来である根拠は読者様の証言のみで、
未だ確たる物証や資料は得られていない。
軌道の廃止は昭和34年(1959)だから、3年後に車道化か。
時系列的には合致している。
いきなり上り坂になり、早速へばる。
あ、食料は持ったのに飲み物を忘れた・・・。
分岐点に標識が見える。
この標識だけでは左右どちらを示すのかよく判らない。
いずれにしろ軌道跡は左なので、そちらへ進む。
すぐに土管製の暗渠を渡るが、軌道の遺構はなかった。
[2007.03] 追記
第二支線方向には間違いなく死人沢(しびとざわ)まで軌道があった。
(やまちゃん氏投稿の元営林署職員の証言)
2006年5月、分岐を右に進んだ「DTM」のMRさんが、
1.8kmほど先で木製標柱を発見していた。
読み辛いが「○○林道第二支線(自動車道)終点」とある。
「治」の一部も見えるので、右が支線で間違いなかろう。
(画像転載許諾済)
分岐から先は更にきつい上り坂になる。
早くも「もう帰ろう病」発症の兆候が見られた頃、
タイミング良く「五○○」の距離標を発見。
もうちょっと進んでみるか・・・。
奥に切り通しが見える。
愛おしさに変わりはない。
わざわざこれを見る為に来たのだ。
笑わば笑え。
木材を積んだトロッコにブレーキを掛けながら
下っていたと思われるが、
完全に車道化されており、軌道跡の痕跡はない。
かつてはここが路肩だったのだろうか。
なんとか道とツーショットになるアングルを探し、
振り返って撮影した。
軌道があったとしても、この先の峠を越えることはなく、
この辺りが終点だった可能性もある。
林道に入って20分。
やっと峠の切り通しに到着。
両側ともに土の法面で、車道化の際に
掘り下げ工事が成されたかどうかも判らない。
ここまでは馬で引き上げたのだろうか。
それとも機関車が入線していたのだろうか。
本線たる馬場線ですらバッカメキから西側は手押しだった
とのことなので、ここも手押しだった可能性がある。
逆に、鉄山支線を使用して荷下げしたのかも知れん。
倒れているが現存はしているらしい。
ここまで数え切れないほどの作業道が分岐しているが、
迷い込むことはないと思う。
左へ進む。
真っ直ぐ進むと2mほどの沢が道を横断しており、
車道は事実上ここで途切れる。
コンクリート製の橋台が残っていた。
苔むしており、放置されてから長そうだ。
車道化の際に設置された橋なら、なぜ修復しないのだろうか?
橋台の幅員が「軌道の遺構では?」とも想像させるが、
だとしたら明治支線の敷設はかなり新しいことになる。
車両を通すために人為的に置かれたものか。
沢を越えるとすぐに「二○○○」がある。
少し高くなった路肩にスッと立っており、非常に目立つ。
ファーストインパクトを思い出し、感慨深く眺める。
錆びた道路標識がある。
曲線のRが二本とも同じなので、
線路終端の車止めのようにも見える。
それでも道路標識は多数見られ、
その支柱はことごとく廃レールが流用されている。
振り返って撮影。
間伐材に埋もれてかわいそう。
2500かわいいよ2500。
前回探索した2004年12月の記憶が蘇る。
鉄山支線との合流点にして、明治支線の終点が近付いてきたぞ!
二年前の冬、私は鉄山支線跡を辿って、
この奥を左から右へ通過している。
その時は明治支線の事などまだ知らなかったのだ。
明治林道のラインはここで90度右にカーブし、西に向かう。
倒木が鉄山支線の築堤を塞いでいる。
一応、確認のため行ってみることにしよう。
私は右のバッカメキ方面から歩いて来た。
明治支線は奥に見える朽ちた標識の辺りで
鉄山支線に合流していたと思われる。
それともプッツリと切れて終端があったか。
二年前と同じどっしりとした表情で、
石積みの橋台が迎えてくれた。
この先には木橋が現存していたが、最近崩落してしまったらしい。
かなり迷ったが、行くのは止めた。
軌道としての明治支線は、上記の土場で終了するが、
車道となった明治林道はさらに奥へ伸びていた。
しかも鉄山支線の道床を利用して!
鉄山支線跡を辿ると「三○○○」の距離標がある。
林道は奥へと進み、軌道は左の沢を渡って峠を越える。
軌道時代の様子を検証する作業が混乱した。
以上、私の検証も正しいかどうかは判らない。