磐越西線・キャッチサイディング1 (磐梯町) 2005.07  [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

  <街道Webこぼれ話>
  この取材は、先日掲載した「磐越西線・旧線」と同じ日に実施した。
  旧線のUPも無事に終了し、さて次はキャッチサイディングだ、と順調に使用ファイルを選択し、下記の地図に軌道のラインを引いていた。
  その過程で大変な事に気が付いた。
  「川を越えている・・・」 (B地点)
  取材を終え、掲載ファイルも選び、htmlファイルの製作という最終段階に至って、こんな重要な事に気付いたのだ。
  川があるなら、それを越える橋が架かっていたはず。 その橋の痕跡の有無を確認しなくてはいけないのにしていない。
  実際には何も無いかも知れない。 護岸工事が成され、ただのコンクリートの水路になっているかも知れない。
  htmlファイルの製作は後回しにして、とにかく再度現場に行って確認だ。

 

磐越西線の翁島駅〜磐梯町駅間は西に向って急な下り勾配に

なっており、そのため軌道はあたかも車道のようにヘアピンの連続で

高度を下げている。

この急勾配を見て、設計者の頭に不安が過ぎった。

「下りの途中で列車のブレーキが利かなくなったらどうしよう」

下にいる列車や民家にでも突入したら大事故になる。

そこで考え出されたのが「キャッチサイディング」である。

 

暴走した列車を本線から分岐させ、上り勾配にて自然減速させ、

停車に至らしめんとする緊急事態用の専用線である。

 

昭和5年(1930)頃、磐越西線・大寺駅(現・磐梯町駅)に

駅から分岐するキャッチサイディングが設置された。

そしてそれは、一度も使われることなく廃線となった。

その痕跡を尋ねる。

 

 

磐梯町駅のホームを西側から見る。

単線ゆえ当駅にて離合待ちである。

ホームを覆う屋根は木造で、

大正11年(1922)の築造とのことだ。

この東側からキャッチサイディングは

分岐していた。

                    

磐梯町駅には歴史を感じさせる物件が多い。

この大谷石製の小屋は危険品庫だろうか?

レンガ製でない為か、注目度は低いようだ。

使用されている様子もない。

 

 

 

 

駅の東側に移動し、南を望む。

さて、キャッチサイディングは本線と

どこで分岐していたのだろうか。

最も東側を通る線路がこれだが、残存か?

まさか・・・ねえ。

 

 

 

この線路は、分岐してすぐに終わっている。

撤去された痕跡にも見えて、なかなか怪しい。

北に磐梯町駅のホームが見える。

 

 

 

 

 

ホームの東側に、道床のような空間が

ずっと続いている。

「なにか」の痕跡だと思われるのだが、

これがキャッチサイディングの道床だったのかどうか、

確証はない。

 

 

 

ホームの北端付近までは辿れるが、

その先は藪に覆われている。

すぐ東を通る車道に逃げる。

 

 

 

 

 

この車道も南端で行止まりになっており、

用途不明の怪しい車道なのである。

キャッチサイディングはどこを通っていたんだ!

 

 

 

 

 

少し進むと、車道が築堤状になってくる。

ここに至ってやっと軌道跡だ、と確認できる。

旧カーブを描いて本線から離れて行く。

 

 

 

 

カーブの先は、軌道跡とは思えないような

急な上り勾配になっている。

減速のための区間なのであろう。

歩いていても「急だなー」と感じるほど急なのである。

 

 

 

 

上図のカーブを振り返り見る。

かなりの急カーブであることが判る。

当時はバンクになっていたのではないだろうか?

 

右奥に磐梯町駅の駅舎が見える。(三角屋根)

 

 

 

A地点

坂を上ると県道(現在は旧県道)と交差する。

当時は踏み切りがあったと思われる。

旧県道から先の道床には民家が建っており、

軌道跡を辿れなくなる。 

ここは迂回するしかない。    次へ進む→

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