奥羽本線・キャッチサイディング1 (福島市・庭坂駅) 2006.03 [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

福島駅を発した奥羽本線は、東北地方の背骨・奥羽山脈を

33‰という急勾配をスイッチバックを繰り返して越え、

米沢駅に達していた。これが鉄道の世界では有名な板谷峠である。

福島側の麓にある庭坂駅に、列車がこの急坂を暴走し始めた場合、

本線から退避、減速、停止させるための路線、

キャッチサイディングがかつて存在した。

全長2km程もあるこの路線は、幸いなことに

一度も使われることなく廃線となった。

その痕跡を訪ねる。

 

 

まずは庭坂駅を表敬訪問。

かつて、駅舎の北側には広大な機関区があり、

峠越えの基地として転車台や扇形の車庫もあったが、

現在は全て撤去され痕跡すらない。

さらに時は流れ、1984年からは無人駅になっている。

 

              

無人駅にしては長大なホームが当時の隆盛を今に伝える。

「つばさ」が3番線を福島駅に向かって通過していった。

 

 

 

 

 

 

庭坂駅と言えばこれ、レンガの危険品庫である。

明治32年(1899)開通時の建築と思われる。

木造の駅舎は建て替えられたが (2003.03)

こいつは残った。

丸い窓がいい感じだ。

 

 

 

割れた窓ガラスから内部を覗いてみる。

「燈火・・・」

「節約」

「特に火気ニ注意ヲ・・・」

明治期の書き込みだろうか?

「庭坂管」は「庭坂管区」かな?

危険品庫の本来の用途が判って面白い。

 

[A地点]

さて、キャッチサイディング跡を探そう。

駅から500mほど西側に踏切りがある。

矢細工踏切という。 

キャッチサイディングはこの辺りで本線から分岐し

東へ向っていた。

足元の車道が、その道床跡である。

 

分岐点は踏切りのすぐ西側付近だろうか。

現在もその辺りまでは車道が伸びている。

 

 

 

 

 

 

本線に平行して東、福島方面へ進む。

県道5号線上名倉飯坂伊達線、

通称「フルーツライン」の跨線橋をくぐる。

 

 

 

 

 

跨線橋を過ぎた辺りから、

徐々に本線から離れて行く。

本線と廃線の間には民家が建っている。

 

 

 

 

 

跨線橋を振り返り見る。

地元の方は、ここに線路があった事を

知っているのだろうか。

 

 

 

 

 

線路跡を証明するような遺構など

まず残ってはいるまい、と思っていたが、

鉄道用地を意味する境界標が残存していた。

この付近では、3本だけ見つけることができた。

 

 

 

 

カーブがきつくなってきた。

右のフェンス内は広大な機関区の跡地である。

ちょっと入ってみよう。

 

 

 

 

 

本線の向こうに例の危険品庫が見える。

駅名標の「赤岩」という文字に

いろいろな想いが交錯する・・・。

容易に人を寄せ付けない駅、

という自己矛盾した秘境の駅が隣にあるのだ。

 

 

 

今冬、大活躍したであろうラッセル車が休んでいた。

奥に見える車庫で眠りに就くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

[B地点]

すっかり新興住宅地と化した中を進む。

廃線跡を辿れるのは、この交差点までで、

道床上は宅地となっている。

ここから先は迂回する以外ない。

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