奥羽本線・キャッチサイディング1 (福島市・庭坂駅)   2009.11   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

     
  福島駅を発した奥羽本線は、東北地方の背骨・奥羽山脈を33‰という急勾配をスイッチバックを繰り返して越え、米沢駅に達していた。  
  これが鉄道の世界では有名な難所、板谷峠である。 一時はアプト式も考えていたと言う。  
  この急坂を列車が暴走し始めた場合の緊急事態に備え、本線から退避、減速、停止させるための路線、  
  「キャッチサイディング」が福島側の麓にある庭坂駅付近にかつて存在していた。  
  全長2.5km程のこの路線は土地を強制収用してまで作られたが、試験運転をしたところ途中で脱線してしまい、うまく機能しなかったらしい。  
  というわけですぐに廃止になり、レールが外され、築堤が崩され、跡地は払い下げられたという。  
  その痕跡を訪ねる。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「福島の町と村II」より転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まずは庭坂駅を表敬訪問。

かつて、駅舎の北側には広大な機関区があり、

峠越えの基地として転車台や扇形の車庫もあったが、

現在は全て撤去され痕跡すらない。

さらに時は流れ、1984年からは無人駅になってしまった。

[2006.03]

              

無人駅にしては長大なホームが当時の隆盛を今に伝える。

「つばさ」が福島駅に向かって通過していった。

 

 

 

 

[2006.03]

 

庭坂駅と言えばこれ、レンガの危険品庫である。

明治32年(1899)開通時の建築と思われる。

木造だった駅舎は建て替えられたが (2003.03)

こいつは残った。

丸い窓がいい感じだ。

 

[2006.03]

 

割れた窓ガラスから内部を覗いてみる。

「燈火〜」

「節約」

「特に火気ニ注意ヲ〜」

「庭坂管」は「庭坂管区」か?

危険品庫の本来の用途が判って面白い。

 

 

[A地点]

さて、キャッチサイディング跡を探そう。

駅から500mほど西側に踏切りがある。

矢細工踏切という。 

キャッチサイディングはこの辺りで本線から分岐し、東へ向っていた。

左奥へ延びる舗装道がその痕跡である。

 

 

分岐点は踏切りのすぐ西側付近である。

現在も分岐点辺りまでは車道が伸びている。

 

 

 

 

[2006.03]

 

きれいに左カーブを描く軌道跡が伸びているのかと思いきや、

道は右に左にと蛇行していた。

これは跡地が売却される時に細分化されたため、

それぞれ地主が勝手に道を付けたからではないかと推測している。

 

 

 

 

[B地点]

軌道跡はこの辺りから車道を外れ、左へ進んでいたと思われる。

痕跡はない。

 

 

 

 

 

航空写真で見た軌道のラインを頭に描きながら探索を続行。

奥に見える家の並びが軌道跡と読んで近づいてみる。

 

 

 

 

 

 

たぶんここが軌道跡だと思うが、な〜んにもない。

地割りに軌道の「影」を感じる程度であった。

 

 

 

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