猪苗代第二発電所専用軌道2 (旧河東町)  2009.11   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

専用軌道の全体像。

起点・終点の位置は推定。

オレンジで示したのは板樋で、

その有無、位置も推定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回探索した部分を拡大。

C〜D間は推定。

 

 

 

 

 

 

 

 


<F地点>

切り通しを抜けたところからレポ再開。

ここから先の軌道跡は全て東京電力の管理用車道になっているので、

廃線としての見どころはこの辺りまで、と考えていたが、

車道右側が段になっていることに今回初めて気が付いた。

上ってみよう。

 

 

予想通り、車道に沿って奥へ進む軌道跡を発見!

例の白い標柱もある。

車道と分かれる付近は藪が濃いが、ここから先は楽に歩ける

 

こんな所にこんなものがあったとは・・・。

 

 

 

倒木を跨ぐことたったの2回。

なんとも"きれいな"廃線跡である。

 

ここで藪のない右の窪みに沿って下ってしまったが、

実は正面の土盛りこそが築堤であった。

 

 

その築堤を横から見る。

標柱には「猪電用地」とあった。

大正初期に創業し、10年足らずで消えた社名ゆえに

「これは貴重だ!」と撮りまくったが、このあと何本も見つけることになる。

 

ここだけ時間が止まっているようだ。

 

 

その先には延々と築堤が続いていた。

藪に隠れて見えなかった遺構が、

最近数年ぶりに除草されたために明らかになったのだ。

 

これはラッキーだった。

除草前に来ていたら見られなかった光景だ。

 

 

 

 

同じ部分を車道側から遠望する。

上の写真は築堤右端辺りから撮ったものである。

築堤はこの辺りが最も高く、3mほどある。

 

付近には一軒だけ民家があるのだが、この辺りが荻原らしい。

(河東町史では萩原とある)

 

 

上の写真は赤い点線部の上半分が写っている。

築堤はすっかり緑に覆われており、

地上どころか空からもその判別は難しい状態だったのだ。

 

赤点線より西の部分はなんとか築堤が見て取れる。

 

 

 

再び築堤上。

奥に続きが見えているのに、なぜかこの部分だけ除草されてない。

この中途半端な整備の理由はなんだろうか?

 

ああ、そうか。送電線直下の雑木を伐採したのか。

どうやら数年に一回の出会いのようだ。

 

 

<G地点>

仕方なく迂回して進むと、築堤の切れ目を発見した。

跨道橋の跡、と考えたいが、

どうやら築堤の北側に畑地を拓く際に、通行の邪魔になるので切られたようだ。

 

高さは2mほどになっている。

 

再び築堤が露わになった所に進み、振り返る。

緩やかな曲線を描く築堤が美しい。

 

鉄塔の左側辺りに先程の築堤が切り取られた部分があり、

車道から細道が通じている。

その付近だけ除草されてないのは前述の通り。

 

 

 

この築堤によって運ばれた砂利で発電所が建設され、その発電所で作られた電気が今もこの鉄塔で関東に運ばれているのだ。

 

振り返るとそこが長い長い築堤の終点だった。

浅い切り通しとなって車道方向に向かって進み、森の中に飲まれて行く。

除草されているのもここまでだ。

送電線が右奥に逸れるからであろう。

 

 

 

 

そしてここにも「猪電用地」の標柱があった。

定期的に上塗りしているのか、非常にきれいだ。

 

90年間もずっとここに立ってたのか・・・。

 

迂回して進む。

 

 

 

 

森の中で再び築堤が復活していた。

車道に合流する直前で、また作業道に切断されている。

ここまで来るとだいぶ低くなっているので分かり辛いが、

左右に見えるこんもりした笹薮が築堤である。

 

奥に見えるのが車道。

 

 

<H地点>

合流点を振り返る。

車道とはすんなり繋がっておらず、スパッと切断されていた。

左の小山が築堤の断面である。

車道工事の際に土が再利用でもされたか。

 

 

ここから先は終点まで車道に上書きされたと思われる。

この先にある湿地帯が菅谷地であろうか。

湿地なら無人・未開の地でも地名が着くだろう。

 

 

 

 

 

水路に沿って緩やかに下って行くと、やがて上部水槽に着く。

この辺りが工事軌道終点の大林であろう。

全長は約1.5kmくらいになろうか。

[2005.05]

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