鳳城炭鉱専用軌道2旧磐城採炭支線) (いわき市植田町) 2006.05   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

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レポ部分の航空写真

 

 

 

昭和50年(1975)

 

 


[D地点]

軌道跡の築堤は、県道バイパスによって一旦消えるが、

その西側に再び現れる。

 

 

 

 

築堤は除草され、県道上からもその姿が見られる。

行ってみよう。

 

 

 

 

 

              

築堤上から県道方向を振り返る。

車道化されていない、当時のままの状態で

残っているようだ。

 

 

 

 

 

[E地点]

しかし、その築堤もすぐ先で消えてしまう。

用水路から先が、スッパリと無くなっていた。

圃場整備の影響と思われる。

 

 

 

 

E地点から300mほどが、耕地化のため消失。

車道の西側に至り、再び現れる。

作業道と化し、舗装までされてしまっている。

 

水田の中に敷かれた真っ直ぐな軌道跡を進んで行く。

 

 

 

自動車道付近のくねくねした線形は、なぜ生じたのだろうか?

この付近だけ、圃場整備が先んじていたので、

このような直線での軌道設置が可能だったのだろうか?

(当時、この辺りは桑畑だったからであろう)

吉村炭鉱専用軌道は、この辺りから北(右)に分岐していた。

鳳城炭鉱線はさらに直進していたが未探索。

圃場整備や車道化により、ほとんど遺構は残ってないらしい。

 

  ちなみに吉村炭鉱線分岐より西側は、昭和6年(1931)に廃止されている。

  昭和12年(1937)、鳳城炭鉱により上平坑まで新線が敷設されたが、それも昭和16年(1941)に廃止された。

  この先の様子は→こちら


吉村炭鉱専用軌道を進む。

この辺りは比較的広い車道になっている。

 

 

 

 

 

 

そこから先は築堤状の直線が続き、

画像左の谷間にある坑口まで続いていた。

この区間は車道化や圃場整備に伴い、

拡幅、直線化されているかも知れない。

(また築堤は既に撤去され、軌道とは全く無関係の可能性もある)

 

 

 

坑口付近は閉山後、用地が売却され、

民家が立ち並んでいる。

よって現在、坑口がどうなっているのかは不明である。

地下に縦横に伸びる坑道が放置されている為、
現在でも地盤沈下による被害が発生している、とのお話も伺った。
また、郡山から線路の跡を見に来た、と聞いて呆れておられた(笑
無理もないと思う。

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