猪苗代第一発電所 (河東町)  2005.09    [TOP]  [寄り道]  [発電所TOP]

 

[全体図]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猪苗代湖からの唯一の出口である日橋川。
その湖と川の境界にあるのが十六橋水門である。
安積疏水や他の用水路、各発電所に関する
全ての始まりがここにある。
石造りのアーチ橋(明治13年1880)だったものを
猪苗代水力電気(現東京電力)が大正3年(1914)に
電動式ゲートの水門に改築した。

しかし昭和16年(1941)小石浜取水口の完成により
現在は引退。
「文化財」になり、その水門は増水時のみ開けられる。

 

  画面奥の第一水門が戸ノ口堰へ、画面手前の第十六水門が布藤堰へ流れていた。
  その他の14門からは発電所に流されていたが、現在は常時閉じられ、画像のように下流側は乾燥している。

 

十六橋水門から川の西岸を北上する。

左が戸ノ口堰、右に光って見えるのが日橋川である。

小石浜取水口からの水が、日橋川に排出された

下流なので、水量は豊富だ。

一方、戸ノ口堰には水はあるものの、流れはない。

 

 

             

満々と水を湛えたダム湖が見えてきた。

遠くに堰(右側)と第一発電所の取水門が見える。

 

 

 

 

 

 

完成当時の様子。

水門上部の構造物などに違いが見られる。

 

さて、水門の所まで行ってみよう。

 

 

 

これが第一発電所用の取水口の水門である。

竣功当時の写真には見られないので、

後に増築された電動式ゲートであろう。

ここから下流の日橋川は枯れて乾いている。

 

 

 

取水口から北へ伸びる導水路。

ここから2km強先に、発電所がある。

全て人が造ったものだ。

90年前に・・・。

 

(第一号開渠)

 

 

水路に沿って北上。

途中、暗渠を見るため道を逸れたら

こんなのがあった。

地下に通じる階段が内部にあるようだが、

いったいどこに通じているのだろうか?

(地下に新・戸ノ口堰が流れているらしい)

 

 

[A地点]

これが目的の暗渠である。

綺麗なアーチ、保守用の階段、

全て赤レンガでできている。

完成から90年。今でも現役である。

(第一号暗渠)

 

完成当時の写真と比較しても、

ほとんど変化がない。

昔は柵なんて無かったのにねぇ・・・ブツブツ

 

 

 

 

暗渠から下流の様子。(第二号開渠)

水路の西にあった戸ノ口堰が、いつの間にか

東側に来ている。どこで交差したのだろうか?

そう言えば先程の取水門の背後で、

古い水道橋(第一戸ノ口堰掛樋)が横断していた。

あれが戸ノ口堰だったのだ。

 

 

話はさらに逸れるが、この先には人家があった。

茅葺屋根のこの民家は築何年だろうか。

その佇まいに感激し、静かにシャッターを切る。

畑では老夫婦がお仕事中であった。

 

戦後に実施された大野原開拓の入植者住宅らしい。

開拓は成功とは言い難く、付近には廃屋が点在している。

 

[B地点]  

元の道に戻り、森の中の砂利道を進む。

これはおそらく当時の工事用道路、

そして現在は東電の管理用道路であろう。

やがて深い森の中に突然、いかにも場違いな

巨大な構造物が現れる。コンクリート製の水道橋だ。

でかい・・・。

 

斜面を登って、水道橋を上から見てみる。

大量の水がゆっくり流れていた。

こんな建造物を見るのは初めてだ。

(第二号水路橋、奥が第五号暗渠に続き、第二号隧道)

 

 

 

 

完成時はレンガ製だったものを

後にコンクリートに改築したもの、思っていたら、

なんと完成当時と同じものであった。

これには驚いた。

 

 

 

水道橋前の分岐[B地点]を西に入ると

膳棚山の山頂に達する。

ここに貯水槽がある。(右側が第二号隧道)

切石積みの本体、レンガ製の水路、

そして「お約束」の桜の古木。

こんな場所まで舗装されている。

 

完成当時の様子。

後方の建物は詰所だろうか。

24時間体制で管理していたのだろう。

 

 

 

 

そして現在の様子。

無人化されて久しいが、まだ詰所がある。

ゲートの構造もかなり変更が見られる。

 

 

 

 

 

下を覗くと、何本もの放水管が見える。

あそこまで行って、

大迫力の巨大パイプの列を見てみよう。

 

 

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  古写真は「土木学会付属・土木図書館」様より転載させて頂きました(使用許諾済)