猪苗代第一発電所2 (河東町) 2005.09 [TOP] [寄り道] [発電所TOP]
先程の分岐まで戻る。
水道橋をくぐり、急坂を下りて行く。
(警笛鳴らすの忘れた)
途中で西に入ると橋を渡る。
その橋の上からの光景がこれ。
膳棚山々頂に貯水槽のゲートが小さく見える。
中央の水圧鉄管は撤去されている。
昭和37年(1962)に撤去されたが、
残存部分が昭和56年(1981)に掘り出され、
博物館入りと相成った。 →参照
ちょっと日橋川も見えている。
使用された石の量がハンパではないが、
全て手作業により積まれたものと思われる。
そのエネルギーに畏怖の念すら感じる。
これは余剰になった水の排水路だろうか。
あるいは貯水槽の底に溜まった砂を流す水路か。
すぐに変電施設も見えてきた。
発電所が近いぞ。
発電所の正門前にひょっこり出る。
建物は近年、建て替えられてしまったが、
色、デザインがレンガ風である。
日橋川に架かるアーチ橋も今はなく、
普通のコンクリート橋になっている。
パッと見がレンガ風になっている。
手前の空地にもいろいろと建物が
建っていたことが上の画像から判る。
管理棟か、職員宿舎か。
巨大な建物と鉄塔、電線、導水管などの
織り成すゴチャゴチャ感がタマらない。
建物側面の繊細なデザインを
今では見られない事が残念でならない。
昭和58年(1983)の発行ということは、赤いレンガの建物と共に
アーチ橋も近年まで残っていたんだな・・・。
なんとも惜しい。
[2009.02]追記
第一発電所を空から見る。 左下の森の中には水道橋も見えている。 ここから東京の田端変電所まで226km。 日本初の長距離高圧送電であった。 高架線は鉄塔ではなく木製であったという。 当時「東京だけでは消費し切れないのではないか」 との声が上がる程の発電量であったとのこと。 京浜工業地帯の電力も、ここから送られたのだ。 |
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古写真は「土木学会付属・土木図書館」様より転載させて頂きました(使用許諾済)
[追記]
検索していたら「福島民友ニュース」に
第一発電所の動画を見つけた。
昭和37年(1962)
後ろが猪苗代第一発電所、手前にアーチ橋。
これ、鉄道由来の切立橋にそっくりである。
工事軌道があったのだろうか? (ありました→こちら)
そしてこれも九州鉄道の遺構なのだろうか?
画面右下に「T字路あり」の道路標識があるので、以前は川の北岸に車道があった事が伺える。
(追記) 2010.05 | |
九州鉄道・矢部川橋梁は2連の鉄橋だったがキャパ不足になって撤去され、それを猪苗代水力電気が購入。 | |
1連は猪苗代第四発電所の工事軌道橋(切立橋として現存)に、もう1連が、この猪苗代第一発電所の工事軌道橋として転用された。 | |
との情報を東京電力の方から頂きました。 | |
噴水が発電所の天井を突き破る事故が発生する。
原因は不明であった。
[2009.06]追記
昭和22年(1947)8月、再び2号機のケーシングが破裂。
原因は金属疲労と判明する。
左はその時の様子。
「滝のよう」と言うより「滝」そのものである。
[2009.02]追記 「河東町史・下」より引用
秋元発電所の構内に移設・展示されている。
外壁に使用されていた赤レンガも展示されているとのこと。
[2009.06]追記