切立橋 (磐梯町〜河東町) 2004.07           [TOP] [寄り道] [橋梁Web]

 

県道7号猪苗代塩川線を西進する。

磐梯町から塩川町に入る直前、

道路北側に猪苗代第四発電所」が現れる。

大正15年(1926)運転開始という古い発電所である。

 

 

 

すぐ前を流れる日橋川に鉄橋が架かっている。

この発電所を建築するため、

磐越西線・広田駅から資材運搬用軌道が敷設された。

その際、ここに設置された鉄道鉄橋、

それがこの切立橋である。

 

 

                  

この橋、実は中古品であった。

明治23年(1890)ドイツ・ハーコート社で製造され

翌年、九州鉄道(現・JR九州)鹿児島本線の

矢部川(福岡県)に架設されたが、大正期になって

列車重量の増加に伴い架け替えられたのだ。

現在の重量制限は6.0ton とある。

 

 

  (追記) 2010.05
  九州鉄道・矢部川橋梁は2連の鉄橋だったがキャパ不足になって撤去され、それを猪苗代水力電気が購入。
  1連は猪苗代第一発電所の工事軌道橋に、もう1連が、この猪苗代第四発電所の工事軌道橋として転用された。
  との情報を東京電力の方から頂きました。
   

大正10年(1921)この地の移設され、

貨物列車が通っていたが、発電所完成後はレールが撤去され、

その後は道路橋として一般車が通行している。

後付けと思われるが親柱も四本きちんと存在する。

「きったてばし」と読む。

 

 

 

 

 

左の親柱には「東京電力株式会社」とある。

そう、この橋は現在でも東電が維持管理しているらしいのだ。

一般に開放されている民間の橋梁とは

珍しいのではないだろうか。

 

ひとつ気になるのが、四本の親柱全てに改修された痕跡があること。

銘板の下側に穴を埋めた跡があるのだ。

これは何だ?

 

 

取材中にも普通に車が通行して行く。

なんと、路面が木製の板張りである。

Web上で見つけた切立橋の画像に写る

重量制限標識には1.9ton とあったが、

この床板の老朽化が原因だろうか。

それでも木製に拘って修繕されたようだ。

 

 

それでは、100年以上前に造られた

ドイツ製の鉄橋の詳細を見てみよう。

 

 

 

 

 

 

発展途上国や植民地への輸出用として開発されたとのこと。

組み立てに難しい技術がいらないように、

半完成品の状態で輸出され、

現地でボルト締めにて完成できるようになっていた。

今で言う、プレハブ式の橋梁なのであった。

日本もかつては発展途上国だったんですねェ。

 

 

 

 

リベットの部分はドイツの工場で、

ボルトの部分は日本で締められたのであろう。

九州で分解され、福島でまた組まれたわけだ。

そんな橋が100年以上も現役でいるんだから、

ドイツの技術、おそるべし! である。

 

 

 

この橋の希少性は東電も心得ているようで、

橋には説明板が設置されており、

保存の方向であるようだ。

 

説明板にあるもう一つの橋は古河橋で、

栃木県日光市足尾の渡良瀬川に架かっているが、

現在は立ち入り禁止になっているようである。

 

どこかに製造元を示す銘板がないかと探したが、

見つけられなかった。

左下に見えるのは塗装の履歴であった。

 

 

 

 

 

渡ってみる。

しっかりとした造りで、全く不安は感じない。

特に狭いという事もない。

さすが、鉄道由来の鉄橋である。

 

 

 

 

木製床板のせいか、車の走行音がしない。

橋の上で撮影中に接近して来た車に

気が付かない程であった。

そういう意味の注意が必要ではある。

 

   

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  この先の道路は「廃線跡」ということになるから、何か鉄道由来の物件が残ってないか探してみたが
  徒労であった。集落や畑の中を通る、まったく普通の車道でしかなかったのだ。
  列車が走っていた当時の様子が知りたいものである。 情報を求む。

  [2005.12]
  Web上に公開された古い資料により、工事軌道のルートが判明しました。 
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