猪苗代第一発電所工事軌道 (磐梯町)  2005.11    [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]  [工事軌道TOP]

 

 <第一発電所専用鉄道1>

貨車は機関車の推進にて分岐点に到り、

分岐点に隣接せる貨車解結場以内

第一発電所対岸の荷卸場までは手押を以て推進す

 

 

「猪苗代第一発電所」のレポートはこちら

 

 

 

 

 

今年は何度ここに足を運んだだろうか。

磐越西線・大寺駅(現磐梯町駅)である。

大正時代に建設された駅舎が

現役で使われている。

人気のない駅前の通りを南(画面奥)へ進む。

 

 

右側の工場が視界から消える辺り。

構内に見られる「何もない空間」というのは

「元」とか「廃」を想像させる。

ここも側線の痕跡のように見える。

さらに進む。

 

 

              

上画像にも写る跨線橋の下に来た。

「土木学会誌」掲載の地図よりだいぶ手前だが、

この辺りが「分岐点」だと思われる。

貨車解結場」が分岐点にあった、とのことだが、

もしかしたら、上画像の空間がそれなのかも知れない。

 

 

 

跨線橋の付近で分岐しないと、

左画像のように本線と高低差が生じてしまうのだ。

この先も、徐々に高低差は広がってゆく。

 

 

 

 

 

さらに進むと、前方に切り通しが見えてくる。

「土木学会誌」の地図で示された分岐は

この辺りにあるのだが、

本線は左に見える築堤の上なので、

ここでの分岐は無理であろう。

 

 

 

切り通しを抜けた辺りの曲線が気に入り、

振り返って撮影。

磐梯町駅の東側にある工場から白煙が上がる。

 

 

 

 

 

その先には、再び切り通しが現れる。

車道なら避けて道を通しそうなものだが、

軌道だからね。

この曲線もいいね。きれいだね。

貨車を「手押」で運んだ軌道の跡だ。

 

 

 

前方上空に、磐越自動車道・日橋川橋が見えてきた。

左側に広がる人工的な広場は何だろうか?

広場の奥には「東電」の標柱が散見される。

「側線」とはこの辺りだろうか?

作業場でもあったのかも知れない。

 

 

 

日橋川の河床が接近してきた。

コンクリートの法面を回り込むと、

前方に猪苗代第一発電所が見えてきた。

 

 

 

 

 

緩い下り勾配が平坦になる頃、

左に上る分岐がある。

この廃道に関する考察は後ほど。

 

 

 

 

 

すぐに広場に出る。

この広場が「第一発電所対岸の荷卸場」であろう。

左には、今まで見られなかった石垣が現れる。

その斜面の上も平坦になっているようだ。

この辺りの画像右側には短い側線があった。

 

 

 

この精緻な石垣のすぐ脇を

軌道が通っていたのであろう。

はるばるドイツから出港し、横浜に陸揚げされ、

東北本線、磐越西線と乗り継いできた

高圧鉄管のゴールも近い。

 

 

 

石垣の終端付近で斜面の上を見ると、

そこにも石垣が・・・・。

先ほどの分岐の延長だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

そして石垣の終端がこれ。

この構造物はなんだろうか?

なにかの設備があったのかも知れない。

 

 

 

 

 

この先の日橋川にはアーチの鉄橋が架かっていた。

これ、切立橋にそっくりである。

残念ながら撤去されてしまい、痕跡すらない。

これも九州鉄道の遺構なのだろうか。

福島民友ニュース」昭和37年(1962)

 

橋を渡り、発電所の東側が工事軌道の終点である。

発電所の建物も近年取り壊され、

レンガ「風」に建て直されてしまった。

 

 

 

 

 

[2009.02]追記

昭和58年(1983)発行の「河東町史・下」掲載のカラー写真。

建設工事の際に架けられたアーチの鉄橋が写っている。

 

 

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