猪苗代第一発電所工事軌道・一覧 (猪苗代町・河東町) 2005.10 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
「土木学会誌 第一巻4号」 大正4年(1915年)8月発行
『工事用材料を輸送するには、岩越線上戸駅(元・山潟駅)及び大寺駅に依れり。
山潟駅よりは山潟駅分岐専用側線を設け湖岸に達しせしめ、
湖上は汽船曳船に依りて戸ノ口湖岸に至り、戸ノ口専用鉄道二哩余りを敷設し、
戸ノ口より水路の付近を経過して水槽に達しせしめ・・・・』
このように始まる文章の中に軌道が3本、湖上交通路が1本登場する。
その全てが未知のものだ。 探索欲を誘うには十分過ぎる情報である。
明治45年(1912)に着工し、大正4年(1915)に完成した猪苗代第一発電所は、
当時東洋一、世界でも三番目の大規模な水力発電所であった。
その大量の建設資材を運搬するために工事用軌道が敷設された。
撤去後90年を経過した、その痕跡を追う。
以下、太文字は「土木学会付属・土木図書館」様、デジタルアーカイブス内、「土木学会誌 第一巻4号」より引用
<第一発電所専用鉄道> P18
『貨車は機関車の推進にて分岐点に到り、分岐点に隣接せる貨車解結場以内
第一発電所対岸の荷卸場までは手押を以て推進す』
軌間三尺六寸。 軌条はアメリカ・カーネギー社製
大正2年5月24日着手、10月1日全部竣工、10月15日運転を開始せり。
横浜港に陸揚げされたドイツ製の鉄管は、
東北本線、磐越西線を経由して大寺駅(磐梯町駅)まで
陸送された。
判らないのは、分岐までは機関車を使用し、
そこから工事現場までは手押しで運んだ、という記述である。
なぜ建設現場まで機関車は行かなかったのだろうか。
軌間は国内標準軌の1067mmなわけだし。
途中には側線もあった。(離合用か?) レポートはこちら
<山潟駅分岐専用側線> P17
『山潟駅構内岩越線より分岐して安積疏水南岸に沿い湖岸に設けたる積卸場に達す』
単線軌間三尺六寸
大正2年1月20日竣工
「安積疏水南岸」との記述からルートを推定した。
よって山潟港の位置も推定。
ここから曳船に積み替え、風や波のない時を選び、
汽船(猪苗代丸、会津丸)で戸ノ口港まで
1日2回、資材を運搬した。
<戸ノ口専用鉄道> P18
『中間に分岐線四線を有し・・・』
『軌間二尺六寸の複線にして・・・』
『機関車はドイツ・アーサーコッペル社製造20馬力のもの3両を使用し・・・』
『砂利および砂の運搬には函形放下車24両、木材その他のもの積載には無蓋貨車18両を使用せり』
大正2年4月14日工事に着手し、同年10月7日竣工す。
この路線のみ762mmの狭軌なのだが、
驚くべきは「複線にして」との記述である。
戸ノ口専用鉄道は狭軌ながら複線であったのだ。
取水口、暗渠、水路橋への支線も四本あった。
そしてその先端は、水槽のある山頂にまで達する。
不鮮明だが港付近はループ線になっているように見える。
このループの部分は単線だったのではないだろうか。