猪苗代第一発電所工事軌道 (河東町) 2005.10   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]  [工事軌道TOP]

 

  <戸ノ口専用鉄道1>

中間に分岐線四線を有し・・・

 

軌間二尺六寸の複線にして・・・

 

機関車はドイツ・アーサーコッペル社製造

20馬力のもの3両を使用し・・・

 

砂利および砂の運搬には函形放下車24両、

木材その他のもの積載には無蓋貨車18両を使用せり

 

 

  <戸ノ口湾付近>

戸ノ口集落は、かつて二本松裏街道の要所であった。

陸上交通、湖上交通の交点に位置し、大いに繁栄した。

 

工事機材陸揚げ用の港が、

江戸期と同じ位置だったのかは不明だ。

図示した港の位置自体、推定に過ぎない。

 

 

 

 

R49の銀の橋上から南側を見る。

ボートがある辺りに戸ノ口湾があったと思われる。

先に結論を言うが、港湾施設の痕跡は見られない。

とりあえず、あそこまで行ってみよう。

 

 

 

銀の橋を西進した直後、南の道に入る。

K376の旧道である。

画像正面の藪に港湾施設があったと思われる。

 

 

 

              

旧県道から見下ろすと、

笹に覆われた平場が確かにあり、

南北に伸びている。

 

 

 

 

 

旧県道の土手を下りてみる。

日橋川に近づくと、低く古い石垣があった。

しかも「東電」の標柱もあるので、

少なくとも発電所に関係する痕跡であることは

間違いはないようだ。

 

 

 

上記の石垣は、真っ直ぐ南へ続いている。

どうやら、これが工事軌道の跡らしい。

軌道が石垣の上を通っていたのか、

下を通っていたのかは判らなかった。

石垣に沿って南下しようとしたが、

笹薮が濃くなり断念。

旧県道に戻る。

 

旧県道を南下する。

石垣の上を軌道が通っていたとすると、

画像左の藪が道床の跡である。

 

 

 

 

 

上の画像の奥で、旧県道は右に曲がってしまうが、

軌道は更に南下してから右に曲がっていた。

追跡したいが、私有地になってしまい進入不可。

とりあえず「東電」の標柱を撮影する。

 

 

 

 

西に向う細長い空地。

これが軌道跡だろうか?

すぐ先で、小石浜取水口から続く水路に

遮断されてしまう。

水路の西側には新県道が開通し、

その西側は公園として開発された為、

軌道跡は完全に消失したようだ。

 

赤井川に架かっていた橋の痕跡でも

残ってはいまいか、と公園内を探すと、

赤井川橋梁があったと思しき場所には

新しい橋が架かっていた。

痕跡はなく、橋台も新設されていた。

 

 

南周り線は諦めて、北周り線を探る。

銀の橋の西側で、北の道に入る。

この道に沿って右側を軌道が通っていたと思われる。

右の林の中に入ってみる。

 

 

 

案の定、川岸に東電の標柱があった。

この辺りが道床だろうか?

 

 

 

 

 

 

この標柱、よくある東電の標柱かと思ったら、

なんと「猪電」とあった。

明治44年(1911)に設立、大正12年(1923)に

東京電燈(現・東電)と合併。

わずか12年間だけ存在した

猪苗代水力電気株式会社の標柱であった。

こんなの初めて見た。(ちなみに猪電は三菱財閥系)

 

工事軌道の施工主である猪電の標柱は、

結局、これ一つしか見つからなかった。

それにしても、よく残ったものだ。

西に向うこの道の右側(北)を軌道が通っていた。

東電の標柱が点在するラインが軌道跡だろうか。

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