北高野共同発電所 (会津若松市・旧河東町)  2007.07     [TOP]  [寄り道]  [発電所TOP]

 

猫魔ヶ岳の麓に広がる見渡す限りの水田。

その中に北高野(きたこうや)という小さな集落がある。

この集落が大正8年(1919)、会津電力に対して電気の供給を申請した。

その数、電灯11灯であった。

しかし、会津電力は少なすぎて採算が取れないとして、これを断った。

 

 

 

北高野の人々は諦めなかった。

集落内を流れる農業用水・日橋下堰の流れを利用し、

自力で発電所を建設しようと計画したのだ。

 

 

猪苗代第三発電所の建設に伴ない、日橋下堰の取水口は移設され、
現在は第三発電所の上部水槽から取水している。

 

 

電力供給の申請が却下された翌年の大正9年(1920)、

観音堂の西側にある3mほどの落差に着目し、

精米用の木製水車を流用して発電機を回す施設、つまり「発電所」を

大工(!)を呼んで建ててしまったのであった。

天晴れ! 北高野共同発電所の完成である。

その出力、1.5kW

現在では、ある一軒がテレビを見ながら電子レンジを使うと、

ブレーカーどころか発電所ごとオチてしまう、というレベルである。

 

 

その小さい小さい発電所のおかげで、集落に初めて電気の明かりが灯った。

真っ暗だった夜が明るくなったのだ。

 

その後、大正12年(1923)に老朽化のため改築。

木製の水車を金属製のタービンに交換し、

その結果、出力は1.5kWから2kWにアップした! (アップした・・・)

 

利用者の共同出資で運営されたこの発電所は、なんと黒字を記録。

その収益で昭和7年(1932)に電気精米機を購入したそうだ。

 

昭和21年(1946)、この粋な共同体は解散した。

当時の水槽(深さ4m)だけが観音堂の西側に今でも残っている。

 

 

 

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  現地を視察した会津電力は営業エリア内での発電行為に「営業妨害だ!」と抗議したが、
会津電力の幹部でもあった地元有力者の仲介で、北高野は営業区域外とされた。
結局、S21に既存の電力会社と「合併」するまで存続したことは、失礼ながら驚きを禁じえない。

この小さな村の小さな発電所の物語を「河東町史」で見つけた時、その小気味良さに爽快感さえ覚えた。
すぐに現地へ赴いたことは言うまでもない。

発電所跡はすぐに判ったが、確認のため地元の方に伺うと、
少し恥ずかしそうにお話してくれたことが非常に印象的であった。
でも、水槽の深さは4mもない、とのことであったが・・・。

   

  「福島県統計書 第39回 上編」に、この発電所と思われる物件が掲載されていたので転載する。  2013.04追記
   
   電気事業ノ二 (第二種自家用) 大正11年3月31日
 

施設者名

目的

施設認可 使用許可

使用区域

原動力 発電
所数

kW

最大電圧

備考

  福原佐殿治 外八名 10.9.28 10.10.26 河沼郡堂島村広野字北高野 1 0.5 110  
   
  特に組合名などはなく、個人9名が協同で運営していたようだ。
  老朽化のためか、出力が0.5kWまで落ちている。
  合わせて経緯を年表化してみよう。
         
  大正8年 (1919)   会津電力に電気の供給を申請したが断られる
  大正9年 (1920)   精米用の木製水車を流用し、自力で発電所を建設。出力1.5kW
         (会津電力による現地査察はこの間か)
  大正10年 (1921)   9/28  施設認可
        10/26 使用許可
  大正11年 (1922)   「福島県統計書」によると3/31時点の出力は0.5kW
  大正12年 (1923)   施設が老朽化したため、水車を木製から金属製に交換。出力が2kWに向上
  昭和7年 (1932)   利潤で電気精米機を購入
  昭和21年 (1946)   他の電力会社との合併に伴い解散
         

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