常磐炭鉱専用鉄道・日渡線 (いわき市湯本) 2005.12 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
この画像の中だけでも、小野田線 向田線 三函隧道 と、三路線ある。
その後の調査で、さらに日渡線の存在が判明したので、再度訪問してきた。
この線形は怪しいな、と思っていたが「やはり」であった。
明治42年(1911) 開通。延長はわずか795mであった。
昭和42年(1967) 廃止
[2006.09訂正]
遺構が残存しているとすると、湯本川を渡る地点しか望みがない。
ここにポイントを絞って、南側から接近する。
奥に車道橋が見えてきた。
お! あった!!
レンガと石の橋台だ。
現在は水道管を支えているようだ。
仮設トイレの裏から撮影する。
水道管の埋設のため、一部原状が破壊されている。
しかし、水道管のおかげで残存し、
また今後も維持管理されてゆくのは間違いない。
鉄道橋には名前が付いていたのであろうか?
宝橋のすぐ下流には常磐線の鉄橋が架かっている。
電車の通過時間になると警報が鳴り、
工事作業員が路肩に退避していた。
事故など起こりませんように。
前後の車道は広いのに、橋の部分だけが
狭くなっている。
現役当時は併用だったのだろうか?
明治期のレンガ構造物はいいね。
100年近く前の物件である。
左へカーブする舗装道が軌道跡である。
線路の両側にあった炭鉱住宅は市営団地に変わった。
正面の山はズリ捨て場に使用されていた。
[2007.01 追加]
軌道は山裾に沿って左奥へと伸び、ホッパーに達していた。
選鉱場やホッパーの跡地には常磐共同ガスの
丸いタンクが並び痕跡はない。
[2007.01 追加]
[2006.09修正]
この山の上は、かつてズリ捨て場であった。その跡地が運動場として整備され、この道路が通されたもので
専用線とは無関係であった。 以下、恥を晒しておく。
車道を横切り、湯本第二小学校の脇を抜けて坂を上って行く。
軌道跡とは思えないような急勾配だ。
深い切り通しだけが残る。
この先の炭鉱跡付近には何も残っていなかった。
土留めの為の廃レールが非常に多く見られる。
専用線で使われていたものもあるかもしれない。
細く、ボロボロに錆びたものであった。
坑内のトロッコで使用されていたレールかも知れない。