常磐炭鉱専用鉄道・高倉線1 (いわき市内郷) 2005.10 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
磐城地区では最も古く、江戸時代から採炭されていたのが白水町である。
専用線が敷設されたのは明治30年(1897)、昭和36年(1961)廃止。
その後、軌道跡は車道化され、鉄道の痕跡はほとんど消えた。
不動山隧道も拡幅され、ごく普通のコンクリートトンネルとなってしまい、
車を停めて撮影する気にもならない状態だった。
しかし隧道はもう一つ存在した。
そして開削されたと思われた隧道は、まだ現存していた。
草木が生い茂る、平凡な風景。
車はわき目も触れず走り抜けて行く。
私もその中の一台だった。
が、今回は違う。
用途不明の平場、その奥に「暗がり」。
巧妙にカモフラージュされているが、
なにやら丸い人工物がチラリと見える。
見つけた! 間違いない。
興奮を抑えきれず、急いで藪に突入する。
(んで、毎度ケガをするんだな)
「滑津隧道」の西坑口である。
おお!赤レンガの隧道だ・・・・あれれ?
と思ったら、上半分がコンクリートじゃないのさ。
全体形を撮影するため後退すると、
どうしても藪が写り込んでしまう。
奥には明かりが見える。
この隧道は抜けている! そして想像していたよりも長い。
当然入る。
坑門のコンクリートは補修の跡だったのだろうか。
しかし、すぐにレンガ巻きは終了し、
コンクリ巻きになっている。
上部が黒いのは機関車の煤煙だろうか。
すばらしい「廃景」だ。
かつて坑口には「フタ」がされ、扉が付いていたようだ。
倉庫にでもしていたのだろう。
コンクリ部分は一回り広くなっている。
なんですかね?この構造は?
そして狭くなっている。
地質の違いか、あるいは度重なる補修の痕跡か、
などと思いつつ更に進むと・・・。
まさかまさかの素掘りである。
表面は乾燥しており、天井にも床面にも湧水はない。
その為か、落石も少なく非常に安定しているように見える。
壁面の模様が左右対称なのが面白い。
地層を切り裂いて掘り進んでいたのだ。
奥にレンガ壁の断面が見える。
レンガ、コンクリ、レンガ、素掘り、またレンガと、
めまぐるしく変化する内部構造に大興奮する。
そしてまたレンガになって、やっと出口に達するようだ。
トタン板、古タイヤ、丸太などが見えてきた。
レンガが剥がれ落ちた為に地肌が露出した、
というわけでは無いようだ。
白化が進んでいるのが痛々しい。
レンガの壁にはヒビが走り、補修の痕跡が見られる。
西坑口付近よりも劣化が進んでいるようだ。
ややカーブしているようで、
明かりが少ししか見えない。
藪化しているわけでもないのに、
隧道の存在は非常に判りにくくなっている。
ん?あれ? ここって民家の庭先じゃないか?
急いで隧道内に駆け込んだ(大汗
<再訪>
単なる藪の法面にしか見えない。
葉が落ちたお陰で滑津隧道の坑口が黒々と見える。
ここを通る人なら誰でも気が付く筈だが、
Web上に全くレポがないのは、単に興味が無いのか、
あるのが当たり前過ぎるからだろうか。
[2006.09追記]
以上の各固有名詞は「内郷 たから物 見て歩き」の記述に基づいたが、
「みろく沢炭鉱資料館写真集」によると、路線名は「高倉線」、隧道名は「滑津トンネル」となっている。
「常磐地方の鉄道」には「入山線」とあるので、当サイトでは「入山線」、「滑津隧道」を採用する。
[2007.01修正]
「常磐地方の鉱山鉄道」では「高倉線」になっていた為、著者の小宅様に伺ったところ、
「入山線は通称で、操業当初の正式名は高倉線である」とのご返答を頂いた。
よって、路線名を入山線から高倉線に変更する。