常磐炭鉱専用鉄道・高倉線2 (いわき市内郷) 2007.01 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
明治30年(1897) | 入山採炭により敷設 軌間1067mm 蒸気 4.02km | |
昭和19年(1944) | 入山採炭と磐城炭鉱が合併して常磐炭鉱になる | |
昭和27年(1952) | 浜井場〜川平間で数年間、従業員を輸送 | |
昭和36年(1961) | 廃止 | |
出典 小宅幸一著 「常磐地方の鉱山鉄道」 |
約1年ぶりに訪問したので
ピンポイントで各所を紹介する。
浜井場バス停付近から内郷駅方面を振り返る。
奥に見える工場が常磐製作所で、かつては内郷電車線が
入線していた所である。
この広大な常磐製作所の西端に古い倉庫がある。
炭鉱労働者を輸送するために導入した気動車キハ21を格納し、
また昇降場でもあった建物である。
内郷駅に直接乗り入れできるように申請したが却下され、
ここで乗り降りするようになった。
(旅客事業も計画していたが、実現しなかった)
その引込み線跡の敷地が今も残る。
西側の壁の一部が白いのは、
キハ21が出入りしていた大きな扉の痕跡である。
<その後の動向> 常磐炭鉱キハ21→岡山臨海鉄道キハ1003→紀州鉄道キハ605→有田鉄道キハ605→ふるさと鉄道保存協会
現在、川平バス停があり、バスの回転場になっているのが
川平停車場の跡で、画面奥へ引込み線が延びていた。
これが引込み線の跡で、この奥にホッパーがあった。
高倉坑は明治42年(1909)、第三坑は大正5年(1916)に
休坑となったが、この川平坑は昭和36年まで採炭が続いた。
新川の南側で採炭を始めた王城炭鉱は、
専用線を敷設して高倉線に接続していた。
左奥に伸びる舗装道が支線跡で、
すぐ先にホッパーがあったが、現在はなんの痕跡もない。
鉄橋が架かっていたが、撤去されたらしく見当たらなかった。
鉄橋跡には木橋が架けられているが、2トンの制限付き。
それ以上の車両は川をザブザブと豪快に渡るらしい。
(渡ったけどなw)
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