磐城セメント専用鉄道1 (田村市滝根町) 2005.05 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
おそらくは民営と思われる軌道跡を尋ねる。
ただしこの路線、古い地形図に軌道の記号がある、というだけで、
それ以外の資料が全くない。
よって竣功および廃止時期、動力、正式名など全て不明である。
探索も行き当たりばったりのブッツケ本番である。
5万分の1「小野新町」 S11
5万分の1「常葉」 S38
・追記1
大正5年(1916) | 磐越東線の全通(T6)を控え、八茎鉱山を経営する磐城セメントが滝根村で石灰採掘に着手 | |
大正6年(1917) | 滝根採石所、開設 | |
大正7年(1918) | 釜山の鉱山から神俣駅までの軌道が完成。試運転開始 (積み替え後、四倉の工場まで輸送) | |
大正8年(1919) | 正式に使用許可が下りる | |
昭和26年(1951) | 専用線廃止。索道での輸送に切り替わる | |
不明 |
索道廃止 | |
「滝根町史」より [2007.10]追加 |
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「住友セメント八十年史」より [2010.07]追加 |
・追記2 「磐越東線ものがたり」の著者・渡辺伸二様より教えて頂きました [2010.07]追加
動力 | ガソリン | |
軌間 | 609mm | |
延長 | 3.1km |
そう言わないと判らないほど個性的な駅舎だ。
右に跨線橋があるので「それ」と判るが、
その跨線橋にも意味不明の三角屋根の部分がある。
( ↑伏線、張っておくぞ)
上り線の外側に、さらに二車線分ほどの空間があるが、
すっかり草に覆われている。
貨物専用側線の跡と思われる。
奥にはホッパーが見える。
これが今回の取材対象である石材軌道と
関係があるのかどうかは判らない。
軌道は右奥に見える大滝根山に向って伸びていた。
駅北側の軌道跡にはセメント工場が建っていて痕跡は留めていないようだが、
工場北側から南の駅方向を見ると、
構内を通る道路の向こうに例の跨線橋の三角屋根が見える。
この構内道路こそ、軌道の痕跡かも知れない。
(単なる偶然かもしれないが)
セメント工場内を石灰で白くなった道が貫いている。
構内道路かと思ったが、どうやら公道のようなので堂々と通って良いようだ。
実はこれが軌道跡なのであった。
大型ダンプが行き交うこともなくなり、幅員も急激に狭くなる。
幅員は軌道幅のままのようだ。
付近住民の視線が結構痛い。
奥に切り通しが見えてきた。
やっと軌道跡らしくなってきた。
住宅地の中にある切り通しというのはなかなか趣き深いシチュエーションだ。
この部分にだけ、両側に石垣が組まれている。
法面の補強だろうか?
いや、これは法面ではない。 石積みの橋台だ。
この跨線橋は現役時の地形図にも表記があり、
気になっていた箇所であったのだが、
まさかこれほど鮮明に残っているとは・・・。
行ってみるもんだねぇ。
現在も作業道として使われているようだ。
足元は築堤状になっている。
足元の切り通しに至る真っ直ぐな道が
いかにも軌道跡らしくてよい。
奥へ続いていたはずの道は既になく、民家が建っている。
石材軌道の動力は何だったのだろうか?
橋台の高さから考えると馬車だった可能性もある。
(追記 ガソリン機関車だったとのこと)
一軒の民家の前を通る。
軌道跡の道は、この民家の私道と化している。
現在は新道が横断し、その先は宅地と化してしまっている。
川と道路の間に挟まれた細長い無用の空間が軌道跡だと思われる。
またしても迂回を強いられる。
軌道跡は残っているのか?
発見することはできるのか?