高玉鉱山専用軌道1 (郡山市)   2006.04        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  <歴史と概略>

  天正1年(1573)会津・芦名氏による開山と伝わる、非常に歴史のある金山である。
  産出量も多く、佐渡(越後)・串木野(薩摩)と並び、日本三大金山と称せられた。
  鉱脈は、本山
(もとやま)、鴬(うぐいす)、青木葉(あおきば)と大きく三つに分かれ、それぞれで採掘が続けられた。
  江戸中期に一時衰退、明治になって再開されたが、昭和51年(1976)閉山。ついに400年の幕を閉じた。
  その後、平成8年(1996)青木葉坑が観光化され、坑内をトロッコで探索できるようになった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2009.02]地形図追加

「二本松」(S32)、「郡山」(S39)

 

本山坑には選鉱所や精錬所、沈殿池など大規模施設が集中し、

現場事務所や鉱山住宅も周辺に点在する、まさに中心地であった。

そこから索道で磐越西線・磐梯熱海駅と安子ヶ島駅まで運んでいたが、

昭和37年(1962)に廃止され、トラック輸送に切り替えられた。

北西にある鴬坑とは標高差が少ないため軌道で接続され、

鉱石やズリを本山坑まで運んでいた。

青木葉坑については、別項にて解説する。

 

(なお、本レポで用いている軌道名は、全て仮称です)

 


  <本坑への道>

高玉鉱山専用軌道・鴬線に行くには、まず本坑を経由することになる。

軌道跡とは無関係ながら、鉱山関連の遺構が多数残存しており、

こちらも興味深いので当然探索対象とした。

 

 

 

 

 

 

 

R49から県道24号中ノ沢熱海線に入り、

磐越自動車道・磐梯熱海IC入り口の先にある

ゴルフ場へ導く看板に従い脇道に入る。

この道は鉱山のために開削された運鉱道だったと思われる。

 

 

 

運鉱道に入る前に、行き先を遠望する。

斜面を横切るガードレールが見える。

凄い勾配だ。

あそこを登って行くのか・・・。

 

 

 

 

運鉱道に入るとすぐに石筵川に架かる高玉橋を渡る。

昭和34年12月竣功のコンクリート橋である。

かつては鉱石を満載したトラックが往復していたのであろうが、

現在、川の対岸に住宅は無いため、車の往来は稀である。

 

 

 

 

橋の下流側には旧橋の橋台と橋脚が残されていた。

橋脚に丸い穴が開いている所から、旧橋は木橋であったと思われる。

現役時はさぞや酷使されたのであろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡った先は広い敷地があり、

現在は石材置き場になっているが、

かつてはここに鉱山事務所や鉱山住宅があった。

当時の石垣が左側に見える。

ちょっと寄ってみよう。

 

 

 

運鉱道から左に入る。

この道の両側に住宅があったが、

当時の建物は何も残されてはいない。

左側の未転用地には土台だけが見られた。

 

 

 

 

未転用地内にある鉄骨の山。

かつて坑内で使用された支保工ではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

鉱山住宅跡にある電柱。

地名を示す銘板には「鉱山線」とあった。

「いよいよヤマに入るぞ」

興奮と緊張が一気に高まる。

 

 

 

 

自動車道をくぐると、緩い上り坂になる。

 

 

 

 

 

 

 

すぐに急坂になり、ローギアを強いられる。

左の法面は玉石積みになっており、

普通の林道との格の違いを訴えている。

路肩のガードレールは細い廃レールでできていた。

路面に敷かれた砂利は鉱山の廃土、

いわゆる「ズリ」を利用したものらしい。

 

 

ここから、さきほどくぐった自動車道を見下ろす。

かつて鉱山事務所や住宅があった広大な敷地が見える。

ほとんど痕跡はなく、一部は自動車道の築堤の下に消えた。

 

 

 

 

 

先ほど遠望したガードレールのあるカーブを曲がると

突然、この鉄塔が目に入る。

いきなり大物廃物件の登場だ。

 

 

 

 

 

索道か、と思ったが送電線の支柱であった。

選鉱所まで電力を供給していたのであろう。

ここ以外の支柱は全て撤去されたようで、

他には見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

セダンではキツイだろうな、って程度に荒れた道を進むと

やがて分岐に出る。

左はズリ捨て場に向かう道らしいので、

「NHK」の矢印に従い、右へ進む。

 

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