東北本線・久田野〜泉崎3 (白河市〜泉崎村) 2006.03   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

<前回までのあらすじ>

廃道化したA-B間をほぼクリアし、B-C間を探索開始。

今では車道となった廃線の切り通しをのんびり歩き始めた。

切り通しの途中で白河市境を越え、泉崎村に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

切り通しを抜けた所の西側に、

現役上下線のトンネル・北坑口があるので

軽い気持ちで寄ってみることにした。

 

 

 

 

まず、手前に上り線のトンネルが見えてくる。

扁額もない、普通のコンクリート製トンネルである。

複線化の際に新設された、新しいものである。

その奥に古い下り線のトンネルがある。

行ってみよう。

 

 

       

おおッ!! レンガ製の隧道だッ!!

東北本線で現役のレンガ隧道は非常に珍しい。

こんな物が身近にあったとは、全く知らなかった。

 

南坑門はコンクリートで塗り込められてしまい、

僅かに笠石だけが見えている状態だったのだ。

 

 

ご覧あれ、本当に現役である。

大正9年(1920)竣工の産業遺構の中を、

当たり前のようにステンレスの列車が通過して行く。

このギャップが嬉しくてたまらない。

 

(701系、と言うらしい)

 

 

坑門左側に銘板があった。

その陰に隠れて、直ペイントの「銘板」もある。

延長 378m

歩行時分 7分

蒸気機関車時代に付着した大量の煤で、

内壁が真っ黒になっている

 

 

隧道の上を通る道の脇で、朽ちた銘板を見つけた。

上の画像に写る物と同じものと思われるが、

坑口にペイントされたものと、内容が微妙に異なる。

延長 373m

徒歩所要時分 約6分

ちょっと短めなのだ。

上り線にあったものだろうか。

 

廃線跡に戻る。

現役時代はこんなS字カーブではなかったと思われる。

車道として使っているうちに、

線形が変わってしまったのであろう。

 

 

 

 

山の中の廃線跡に沿った所に売地があった。

「西泉崎無線中継所」とある。

こんな所に電電公社の中継所があったらしいが

現在、NTTが売りに出している。

買ったところで、どんな利用法があるのだろうか。

電気、ガス、水道はあるのだろうか?

 

 

森の中を抜け、田園地帯に入る。

右側には境界標が点々と続いていた。

土手のすぐ下を本線が通っている。

 

 

 

 

 

新旧線の高低差はかなりのものがある。

この勾配を改良するために、隧道化工事が

大正期に行われたわけだ。

これは保線用の階段と思われるが、これまた急だ。

 

 

 

 

 

 

階段を下りてみる。

右の法面の上が旧線跡である。

4〜5mほどあるだろうか。

 

 

 

 

 

この光景には驚かされた。

左右の水田が低い位置に見える。

つまり旧線の築堤が非常に高いのだ。

当時の大規模工事を伺わせる、

素晴らしい鉄道遺構である。

 

 

 

本線と反対側、築堤の下に木製の境界標を見つけた。

車道と化した旧線の、現在の管理者は誰なのだろうか。

やはりJR東日本なのだろうか。

 

 

 

 

 

夕日を背に受けて、築堤上をどんどん東進する。

高かった築堤が徐々に低くなってくると、

中ノ内集落にある中之内踏切に通りかかる。

ここだけ築堤が掘り下げられ、踏切りの高さに

合わせてある。

(EH500・金太郎)

 

中之内踏切から、旧線の築堤を振り返る。

ここでも、まだ2m以上ある。

 

(画像をクリックすると、南側の画像が出ます)

 

 

 

 

さらに進むと、やっと高低差が無くなった。

旧線築堤が崩された箇所を見ると、

バラストが露出していた。

 

(また701系)

 

 

 

[C地点]

やがて踏切りが見えてくる。

峠踏切である。

踏切りの南方に烏峠(486m)という山がある。
それが踏切り名の由来であろう。

 

 

 

この踏切りの先で、旧線跡は本線に飲み込まれる。

約3kmの廃線探索の旅であった。

(ここから探索を開始していれば、もっと楽チンだったと思う・・・)

 

 

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