目兼林用軌道1 (いわき市山玉町)   2005.02        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  元々ソリでの搬出路であったが、大正13年(1924)に軌道の設置工事が始まり昭和25年(1950)に廃止という、

  実働期間も距離も短い馬車軌道である。延長は6.0kmで軌間は762mm。

   「トワイライトゾ〜ン MANUAL6」の記事によると、ほとんどの部分が車道化されており、大規模な遺構は残っていない、とのこと。

   さて昭和27年の地形図には、まだこの軌道が描かれている。よく見ると軌道とは別に南側に車道が描かれているように見える。

   現在の林道は、どちらのルートをベースにしたのだろうか? 軌道がベースなら期待は薄いが、車道がベースなら現林道の北側に

   軌道跡が人知れず残っている可能性がある、と見て訪れることにした。

 

 

 

 

 

 

 

[2009.01]地形図追加
地理調査所発行「小川」より引用

 


 

 

 

 

 

 

 

  四時川沿いにある川部村に起点がある。ここから西の山間部に伸びているのが目兼林用軌道である。

  緑の矢印までが専用軌道で、そこから終点までは併用軌道だったようだ。

 

この林鉄の遺構は、山間部よりも

人里に多いという点で稀有な例である。

起点から順に辿ってみよう。

 

 

 

 

 

   

 

 


[起点]

貯木場跡を思わせる広い敷地はないものか、と探すと、

左の建物が目に入った。

しかしこの建物、実は漁協なのだ。(鮫川漁協)

林業とは畑が違いすぎて戸惑うが、

とりあえず、ここを起点の貯木場と擬定しておく。

舗装道と化した軌道跡を西進する。

 

少し進んだ所に浄水場がある。

ここから暫く急な上り坂が続く。

 

 

 

 

 

 

坂の途中から見下ろすと、大規模な製材所がある。

当時から操業していたと思われる。

この林用軌道とも無関係ではあるまい。

 

 

 

 

 

[A地点]

坂を上り切ったこの地点で、軌道と車道が交差していた。

右下から左上へ続くのが当時の車道で、

軌道はここを直進していた。

 

 

 

民家の前を通り、水路を渡って軌道跡へ進む。

 

 

 

 

 

 

 

宅地と水田の間に築堤が残っている。

現在も地元の方が利用しているようだが、

私の様なヨソモノが通ると、かなり注目を浴びる。

 

 

 

 

 

[B地点]

砂利道はやがて舗装道になり、

そのまま舗装道を暫く進むとB地点に至る。

ここで軌道跡の道床が鮮明に現れる。

二本の道に挟まれた中段の部分が軌道跡である。

 

 

車道の一段上に残る軌道跡。

 

 

 

 

 

 

 

道床に上ってみる。

軌道跡はこの先も続いているが、

民家の裏庭を通っているので、進入は遠慮した。

迂回する。

 

 

 

 

民家の西側に迂回し、軌道跡を望む。

手前の溝には橋が架かっていたと思われるが、

現在は新しい自家製の丸太橋に替わっている。

橋台の状況は未確認。

 

 

 

 

この先、軌道跡は不鮮明になる。

宅地と水田の間に水路が通っているが、

これが道床の痕跡なのかも知れない。

 

 

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